人格者 人間性
引用 心をつなげる接着剤は「明るさ」なのです。それがあると、自分が明るければ、相手の明るさも表に出てきて、それで簡単につなげられるのです。 相手を理解することによって、サッとつなげてしまえば、相手はもう、自分のことをよく理解しているその人か…
引用 私たちは、お互い助け合ってこそ生きられるのです。このことは決して忘れないでください。「みんな、仲良くしましょう」という慈悲の心は、道理にかなったことなのです。人間というものは誰かと一緒にいると楽しいでしょう?帰ってみたら家が暖かくなっ…
引用 「類は友を呼ぶ」というのは、仏教教育上はものすごく大きな問題です。これが智慧を阻害しているのです。「自分探し」、日本で流行っている言葉ですね。自分がなくなったとでもいうのでしょうか。バカバカしい言葉です。あれは自分の本性に似た仲間が見…
引用 「私は正しくない。ほとんど知らない」という謙虚な気持ちでいる人が、「学びたい」といういう意欲を起こすのです。 中略 「学びは死まで」というインドの諺があります。また仏教では、「老い朽ちるまで道徳を学びなさい」と言います。 私見です。 私事…
引用 仏教からいうと学んではならないものは、ちゃんとあります。 1・生命に不幸をもたらす技術 2・自分の心に怒り、憎しみ、嫉妬などが増えるもの。 3・心の安定、安らぎを壊すもの 4・やりきれないもの 私見です 1~3番目までは、この本を連想してし…
テキスト引用 「おもしろいから」「暇だから」「ただ知りたいから」ということで学ぶのは、無駄な学びです。 いわば暇潰し、時間潰しの趣味としての学びです。 そういう学びは、仕事の役にも人格向上にもつながらない。心を清らかにすることもないのです。 …
引用 行為を行うにあたって、儲かるとか、有名になるとか、有利になるということではなく、「人格が向上するかどうか」を基準にして生きることが大切です。 私見です まずは、儲かるとか、有名になるとか、は仏教は無関心です。 人格向上の道って、幸福にな…
引用 何のために学問をするのでしょうか。 第一、我々は生きるための職を得るために学ぶのです。 第二、学ばなければ、動物と何の変わりもありません。文化人、社会人となるために学ぶのです。 第三、心を向上させて人格を向上させるために学ぶのです。 いち…
引用 前略 しかし、人生は短いのです。学ぶには、時間がかかるし、学ぶことも無限に出てきます。だから当然、何を学ぶべきか選択しなければいけません。 したがって、まずは人格向上に関わるものを学ぼうではありませんか、人格向上のために学ぶことは、人生…
引用 人の心には、巨大な能力があるのです。 その能力をどこまで発揮するかが、私たちの課題です。 ほとんどの人は、社会が敷いているパターンや安全な路線を歩もうとします。そうすると、自分本来の能力を発揮するチャンスはなくなるのです。 たとえ安全な…
引用 私たちが願いとしてもつべきものがあるとすれば、それは、「人格の向上」です。 どんなことがあっても、その都度、この経験から何を学べるのかと、人格向上に努めるのです。 たとえ不幸なできごとに出遭っても、失敗しても、それを人格向上の糧にしてい…
引用 未来の願いを持つよりも、「いまの自分は何ができるか」を考えたほうがいい。 「いまの自分を、どう向上させていくか」が大切です。 いつもながら勝手な私見です。 一日一話 10月15日の文章です。 「願いとして持つべきもの」 引用です 私たちが願いと…
そうそう なぜ人格向上を目指さなければいけないか? どうすれば人格は向上するか? ですね・・。 勝手に補足してすみません 下記の先生の法話にヒントがあるような気がします。 j-theravada.net ん? これはモグラですか? 暑くなって、出て来たのでしょう…
短いので全文引用 ブッダが安らぎに住しているのは、智慧があるからです。 ブッダがなぜ悩まないかというと、智慧によっていつでも正しい答えをもっているからです。 ブッダにとっては、どんなことが起きてもかまわないのです。瞬時に正しい対応がひらめくか…
引用 「私は正しい」という心は、無意識的にあります。 下記で先生は「自分が正しい」について徹底的に述べてます。 厳しく、徹底して述べてます。 j-theravada.net 「自分が正しい」に燃料をくべていくのは自我でしょう。 いずれ他人の過ちばかり目が行くよ…
仏教では、 何をするにしても、自分がよりどころ、自分が手がかりになります。 引用します よい人間になろうと思っても、そう簡単にはなれません。そのような考えはほうっておいて、ひたすら、いまの自分に気づくことに努めるのです。 先生は、口を酸っぱく…
引用 いくらお地蔵さんを拝んでも、人格の向上はないのです。「どうかお願いします」で終わってしまうのです。 先生の話に受け売りですが、仏教徒が拝むというか、手を合わすのは、お釈迦様への尊敬の念です。 「お釈迦様、願いをかなえてください」とか「助…
これ、昨年の4月30日に書いたものです。 自己紹介をしてたみたい。 本日は休日なので好きに書きます 仏教との出会いを書きましょうか。 実家の宗教は日蓮宗です、仏教系の大学を出てます、もっと大学で仏教を勉強すれば良かったと思っています。 で、大学を…
親しい知人が病気になり、病気とか身体のことを考えたりします。 病気とは、身体が不自由になることです。 でも、仏教では「身体のことなんて放っとけ」です。 たしか、身体には冷たいです。 私たち生活活動のほとんどが身体に関すること、身体のためにやっ…
「皆に好かれる人間になりたい」といっても、無理をして好かれるとか、自分を犠牲にしてまで好かれる、という話ではありません。 でも、他人から嫌われたら幸せではありませんし、好かれないと幸せにはなりません。 かといって、これも無理をする話でもあり…