慈悲
引用 しかしながら戒を単独で実践することは賢明なことではありません。私たちが修行するにあたっては、定を実践することもまた、必要なのです。定とは心の集中、あるいは心を静めることを言います。 ここでは、戒定慧のお話ですので、「定」が出てきました…
引用 我々はずっとみんなに支えられて生きていますが、自分の肉体はみんながいくら助けてくれても壊れます。みんなのせいではなくて、自分が壊れるのです。お医者さんを千人集めても、家族や親戚がそろっても、どうにもなりません。 ですから、そのときは、…
引用 我々が頭でっかちに考えている「死」は、最終的に肉体の活動を終了することです。しかし、常に自分が死んでいくということは、頑張ってみれば、ほんのちょっとの努力で体験できます。 お釈迦様は瞑想という方法を教えています。 それは「ありのままに観…
引用 病気を治すために必要なのは、「自分の病気が治りますように」という願いではなくて、「周囲の人々のために病気が治りますように」という願いです。「私が健康になりたい」という願いは、わがままで高慢な、自我から出てくる願いです。その「自我」とい…
引用 「仕事が生きがいだ」と思っていると、引退したらやることがなくなってしまいます。それが寂しくて、みるみるうちに病気になって死んでしまうのです。そうならないためには、何があろうとも状況を受け入れて楽しむことです。仕事があるなら、仕事を楽し…
引用 生命は誰であっても、うまく仲良くして生きられるうまい技があります。 それは、相手の相違点を評価することです。 相違点に興味を持つのです。 「あなたは私と違ってよかった」という気持ち生きてみるのです。 それから、みんな幸せになると思います。…
引用 一時期、お寺の私のベッドに猫が来て、一緒に寝ていました。私が平等に接するので、猫は「自分が偉い」と思っていました。私のベッドで寝るのはいいのですが、私も寝るのですからね。ちょっと身体が同じ姿勢で痛くなったら寝返りも打ちます。 するとと…
引用 慈悲喜捨の慈(メッタ―)は「みんな友達です」という意味です。犬であろうが、猫であろうが、仲間であって友達です。 悲(カルナ―)というのは、他の生命を助けることです。「苦しんでいるな」と気づいたら、「これはいけない、助けなければ」と助けて…
引用 今はネットの時代です。地球に住む人々が互いに連絡しあって、つながって生きています。インターネットの技術は我々の生き方をある程度、楽しています。 命もネットワークです。命は互いに協力することで成り立っています。他の生命がなければ、私の命…
引用 慈悲とは「私は幸せになりたい」という気持ちから始まるのです。もちろん、各生命がそれぞれ幸せになりたいと思っているのですが、それはすぐ実感としてピンとはきません。 ですから、「私は幸せになりたい」という「私は」のところを確定して間違わな…
引用 たった一人でも慈悲の実践をすると、周りが幸せになります。 慈悲の実践とは、世界平和とか、そんなちっぽけなことのためにやることではないのです。 すべての生命が平和で豊かで、お互い仲良く生きるための道なのです。 慈悲の実践をすると、人間や地…
引用 なぜ「生きとし生けるものが幸せでありますように」と念じるのかというと、いかなる生命も幸福を目指して生きているからです。幸福になりたいということは、微生物の気持ちにもあります。ですから、生命が幸福を目指すということは、ごく普通、当たり前…
引用 慈悲を邪魔するのはエゴの錯覚です。 エゴの世界にいるから「慢」が出てくるのです。 「慢」とは自分を評価する心です。 必ず、他の人と比べて評価します。本当は他人との比較は不可能です。 海の水は比較できますか?お前より私のほうがすごい、私のほ…
引用 空気というのは、まったくトラブルを起こしません。どこにでも入っていけます。私の心も、あの人は男、あの人は女、あの人は子ども、あの人は動物など、そういう区別なく、空気のようにつながらないといけません。たとえば人と話しているうちに気分が悪…
引用 なぜ子どもはかわいいのでしょうか? 子どもは、大人である自分が何とかしてあげなくてはいけない存在だからです。動物の子どもを見ると思わず触りたくなるように、手を貸すべき存在を前にしたとき、私たちの心には他の生命に対する優しさが生まれます…
引用 私たち仏教徒は、それぞれの人のことを心配します。大事にして、幸せに生きていってほしいと思います。自分が余計なこと、自我を張って、あれやこれやわがままを言い張って、迷惑をかけないようにします。もし、何か必要なことがあったら、「これをお願…
引用 慈悲の瞑想を続けると、人格ができているので、すごい力が入ってきます。 生き方が変わります。 自分で進んでいかなくても、生命がみんな寄ってきて、助けてくれたり、いろいろなお世話してくれたり、安らぎをいただけたり、いろいろなことが起こります…
引用 「私には能力がない」と思うのもエゴです。「この人には能力があるが、私にはそんな能力がないから悔しい」と思うから相手をねたむ気持ちが出てくるのです。 中略 何事においても、各人が能力に応じた仕事をすればいいだけの話です。「私が」「私が」と…
引用 ナショナリズムは無智な欲です。愛国心という糖衣で欲を隠しているのです。 昔から「自分の国や民族が優れている」という病気があるのです。 その病に侵されている国に体力も財力もあったら、他国を制覇しようと殺しに行くのです。支配欲にも限りがあり…
引用 他人の過ちをゆるすことは人格者にしかできない立派な行為です。恨むこと、ゆるさないことは、犬、猫でもやっている本能的な行為です。 ゆるすことは良いと思う人々も「ここまでならゆるす」という条件をつけます。要するに、条件を超えたら自分が犬猫…
引用 両親は、子供のことを我がことのように心配してくれます。たとえ悪事をはたいて刑務所に入ったとしても、親は子を無条件で愛してくれるものです。 しかし、そんな親にも与えられない幸福を自分で自分にプレゼントできることを知っていますか? 正しく育…
短いので全文引用 私たちは、いつでも「考え」が先にあります。 考えてから喋る。 考えてから行動する。 だから、「あなたは何者か」ということは、「あなたは何を考えているのか」で、わかります。 暗い思考を持っていれば、暗い人になります。汚れた思考を…
引用 智慧とは、特別に「何かがある」ことではありません。じつは、「何もない」ことなのです。 心の中に、ある価値判断や尺度をもっていると、それに当てはまるものしかみえません。知識にしがみついていると、それで頭がいっぱいで、他のものが入らなくな…
短いので全文引用 心の頑固さという錆は、たえずきれいに落としておかなくてはいけません。ほうっておくと、ますます錆てしまうからです。 心の錆にいちばん効く薬は、慈しみと智慧です。 慈しみと智慧の実践によって、心の錆が消えるだけでなくて、錆びる原…
テキスト引用 心は、自分自身が栄養となって、次の心をつくるのです。清らかな心を栄養として、次につくられる心はまた清らかです。 心に汚れが入ると、次につくられる心も汚れてしまうのです。 私見です この本がすごく参考になります。 「1」ってなに?: …
テキスト引用 (食べ物だけではなくて)私たちが「みるもの、聞くもの、嗅ぐもの、触れるもの、思考するもの」も大事な栄養です。 これらも食べ物と同じように、汚れたものをとってはならないのです。気を付けて、清らかなものをとるようにしましょう。 私見…
引用 人は「どうでもいいことに」にかこつけて、相手を潰そうとしたり、自分の強さや正しさを示そうとしたりします。 私見です 人間は真理が嫌いで、『我々のほとんど多くは、証拠にもとづかないことを、貪瞋痴にもとづいて「信じよう」としてますね』と昨日…
テキスト引用 相手を許さないのは、「自分が正しい」と思いこんでいるからです。 しかし、「自分が正しい」というのは、この世ではあり得ないことです。 私見です。 以前、先生の法話で、「人間のやることに”絶対”はない」とおしゃっていたのを覚えてます。 …
引用 前略 それは、悪いことを忘れないでいつまでも恨み続ける「自分の心」なのです。 あなたを攻撃したり意地悪をした人も、やりたくてやったわけではなくて、ただ真理がわからなかったから過ちを犯したのだと思いましょう。 昨日の法話です。 j-theravada.…
テキスト引用 逆に、人の世話をすることがカッコいいとも思わないほうがいいのです。 自分のことさえろくに知らないのに、その人にとってほんとうに何が必要なのか、わかるはずがないのです。 自分のことさえきちんとできないのに、他人のお世話をしようする…