日常生活
引用 我々が悲しいと思うのは、自分と関係がある人の死です。関係のない人の死に対しては無関心です。ですから、「死者を弔っているから、自分はよくできた人だ」と単純に考えることはできません。もし本当に「死は悲しいことだ」と思うのなら、一切の生命の…
引用 生きることに意味を探すのは無意味です。しかし、生きていることは確かです。「必ず死ぬ」ということも確かです。生きていることは「死を避ける」という大変な闘いです。簡単に楽に贅沢に、ちやほや大切に生きられるということはけっしてありません。で…
引用 何かにつけて「とはいっても」言う人には、自分を変える勇気がないのです。 こういう人々はだいたい「こういうことで困っています。どうすればいいですか?」といろいろな疑問を持ってきます。 ところが「だったらこうしなさい」と答えると、「とはいっ…
引用 「自分がどうすれば役に立つのか?」と考えるのです。自分が役に立たない場合は、自分の存在価値がなくなってしまうのです。「誰だって命は尊い」とかそんなのは大噓で、冗談じゃないです。誰だって、ただ生まれたから生きているし、自然法則によって死…
引用 心を成長させて清らかにするためには、まず、しっかり健康でいなければなりません。 健康でいるためには、食べ過ぎはいけません。健康といっても身体の健康だけでなく、心の健康も必要です。 食べ過ぎたら身体も病気になりますし、それに伴って心も病気…
引用 「隣人愛」などのカッコいい言葉を捨てて、自分が最大限に愛するのは自分自身であることを素直に認めましょう。 本当に一番愛しているのは、隣人ではなく自分なのです。隣人愛も家族愛も、自己愛の次に来るものです。これが自然の流れ、ありのままの事…
引用 子どもが何か欲しいと言い出したときのことを思い出してください。もう、なんの理屈も聞かないでしょう?「あれが欲しい!」それだけです。実は大人も同じなのです。自分が欲しいものがあれば、それを手に入れるためだけに行動します。でもそれで幸福に…
引用 人間はこの地球に現れたときから、「幸せになりたい」とずーっと頑張ってきました。自分は幸せになりたいし、できれば周りの人々を幸せにしてあげたいと願っているのです。お医者さんに「あなたは、なぜ医者になったのですか?」と聞けば、「人々を幸せ…
引用 慈悲を実行しようとする人は、高慢があると、実行できなくなります。自分が何者でもない場合は、いつでも人のことを親切に考えることができます。人にやってあげなくてはいけないことを、いとも簡単にできるのは、自我のない人なのです。 「自分は偉い…
引用 あなたは、一人では生きることさえできません。ですから、他人に好かれる生き方をしたほうがよいに決まっています。 他人から「あの人のことは助けてあげなくちゃ」と思われる生き方をして、何か不都合はあるでしょうか。他人が「あの人はよく頑張って…
引用 失敗して不幸な生き方をする人々には特徴があります、それは、他人の些細な過ちを派手に取り上げて批判することです。自分は完璧だという誤解から生じる現象です。他人を批判するばかりで、自分は一向に正しい人間にならないのです。歩んではいけない道…
引用 私は今、お腹が空いている。いろいろなものを食べたい欲望があるけれども、おむすびしかない。だったらおむすびで満足するのです。思う存分おむすびをかんで、歯ざわりや海苔の香りを味わえばいいでしょう。「まあ、おいしいねえ」と、それで終わりです…
引用 今の瞬間にやることができなかったら、永久にできません。「例えば、二十歳のときにギターを弾きたかったとします。でもそのときにできなかったらば永久にできませんね、四十歳でギターを触っていても二十歳ではありません。ですから、いつでも今の瞬間…
引用 今ここで幸福を味わえないなら、明日も幸福を味わえません。「明日こそは幸福になろう」という気持ちで生きている人は、いつまでたっても明日幸福になるつもりですから、永久に幸福にならないのです。「今日、幸福になるぞ」と努力する人は、それなりに…
引用 「若い人は目標や理想があっていい」といいますが、実はそんなものがあるから若者の元気がなくなってしまうのです。今やるべきことを大事にすれば、若者は元気になります、暗くなって行動力を失っている若者を調べてみると、観念的で、理想がありすぎて…
引用 私たちはいつでも、「明るい明日がある」と思って生きています。 これは明るい言葉だと思い込んでいます。 誰も気づかないことですが、「明るい明日がある」なんて、明るいどころか、本当はとても暗い概念なのです。 「明日はきっと明るいはずだ」とい…
引用 私たちは「明日がある」と言って、やるべきことを今日やらないで後回しにすることがよくあります。 「明日はどうでもいい、今日楽しければ充分だ」と思う感情は仏教的ではありません。 なぜ「明日があるさ」も「今日だけよければいい」というのも仏教的…
引用 仏教は「厳しいもの」という固定観念、キャラクターがつけられています。 実際の仏教は苦行には反対ですし、皆、微笑みを絶やさずに、静かに、掃除や瞑想など、日々の営みを遂行しています。 しかし、実際の様子が自分の持っていた固定観念、イメージを…
引用 良い結果を出したい、失敗したくない、という感情があるから、「よく頑張りました」と自分を褒めることができなくなるのです。感情が割り込むと、仕事に没頭することができないので、納得のいかない結果になるのです。 結果は私の努力だけで成り立つも…
引用 「学ぶ」とは知識を憶えるだけのことではありませ。会う人会う人が、私に何かを教えてくれます。あなたの陰口を言う人も、足を引っ張る人も、何かを教えています。 Life is a school. つまり、人生とは死ぬまで学校なのです。教え方はさまざまです。人…
引用 仏教徒の生き方は、「備えなければ憂いなし」です。古い経典にこんな話があります。在家の人が「雨が降っても、私は大丈夫です」と言うと、ブッダは「雨が降ったら、どうぞ勝手に降ればよい」と語りました。 これは在家の生き方と仏教徒の生き方の違い…
引用 人間はゼロで生まれてきて、いろいろなことを学びながら成長していきます。「できないことが、できるようになる」というところに達成感や喜びがあって、それを味わいながら、一歩一歩成長していくわけです。それが生きるということです。 そういった生…
引用 自分の楽しみは人が作ってくれるものではありません。他人は自分のことで精一杯。あなたを幸せにする暇も義務も義理も、他人にはないのです。幸せとは他人から得られるものだと思うのは、勘違いもいいところです。幸福・楽しみは自分自身で作るものです…
引用 個性が大切だといいますが、実際に個性を出すとどうなりますか?子どもなら仲間に責められるし、先生にもクタクタにやられます。下手すると退学になるかもしれません、だから私は「個性、個性といくら言われてもやるなよ」と言います。子どもたちには「…
引用 ある人が私に、「認知症になった家族が自分のことを忘れているんだ。『あんた誰?』と言われるんだ」とこぼしていました。 私は、「それでいいじゃないですか。『隣の家から来たおじさんだよ』と言ってあげたらどうですか?」と答えました、楽しいです…
引用 親子関係は永遠のものではありません。ほんの一時的な関係で、会社に入って、そこの社員になったような感じです。 社員と会社は退職するまでの関係なのと同じく、親子も子どもが一人前になるまでの関係にすぎません。 人間は感情があるために、一時的な…
引用 「笑って幸福になる」という場合の笑いと、「幸福だから笑う」という場合の笑いは、まったく違います。「私は幸せだ」「生きていてよかった」などというのは、ただの幸福ボケですよ。ですから、そこに生まれる笑いは、ひどく無智な笑いなのです。このよ…
引用 笑うためには理由は要りません。ただ笑ってしまえばいいのです。何のことなく笑っていると、またエネルギーがどっと増えます。どんなことでも笑ってしまう人間になれれば、頭がよく回転します。これは脳の法則です。笑っているとは、「悩まない」という…
引用 何かを見て「面白いなあ」と思ったら笑ってもよいのです。 一人をからかってもよいのです。 しかし、一つだけ気をつけてほしいことがあります。 人のプライドだけは傷つけないでください、人間として「平等である」ということだけは忘れないでください…
引用 ユーモアを持って、よく笑ったほうがいいのです。よく笑ってユーモアたっぷりに過ごせば、楽に生きていられます。どうせ死ぬのですから、そんなに人生を真剣に受け止める必要はないでしょう。一日、泣いたら損でしょう。「短い時間しかないのだから一日…