自我
引用 この世で生きてみると、さまざまな出来事に遭遇しなくてはいけないのです。気に入る出来事も起きますが、気に入らない出来事のほうが多いのです。出来事が自分の気に入ったら、舞い上がって喜ぶ。気に入らないと、、落ち込んで悩む。 犯人はいずれも、…
引用 個人とは、大海の一滴だとしましょう。この一滴の水が、自分は他の水と違った個人であると主観をつくっているのです。 後略 私見です これは何かの経典にあるのかもしれませんが、知識が無くわかりません。 これについて詳しく書いてある本が下記になり…
引用 自我を捨てた瞬間に、人間はたちまちすごくなれるのですよ。 信じられないほど尊くなるのですね。 自分が他を心配する菩薩になって瞬間になんでもできるんです。 後略 私見です。 テーラワーダでは、あまり「菩薩」という言葉は出てきません。 大乗仏教…
引用 「私には能力がない」と思うのもエゴです。「この人には能力があるが、私にはそんな能力がないから悔しい」と思うから相手をねたむ気持ちが出てくるのです。 中略 何事においても、各人が能力に応じた仕事をすればいいだけの話です。「私が」「私が」と…
引用 「私は、たったひとつの大事な存在です」と、皆、思っています。だから「私にいちいち、いろいろなことをゴチャゴチャ言わないでくれ」と思っています。 それなのに「でも、私は皆に言いたいことをいっぱいゴチャゴチャ言いますよ」と思うのです。誰も…
引用 「美」というのは偏見です。「これこれこういう条件がそろったら美です」ということは成り立たないのです。 後略 脱線する私見です。 「私は知っている」の「知っている」ことのほとんどは主観ですね。 関連リンク j-theravada.net 上記で、先生は「餌…
引用 肉体は、個人のものでなく、地球のものです。私たちは肉体に限らず、地球からすべてを借りています。いわば、すべて「レンタル」です。 後略 バリバリの私見です。 前もレンタルについて書いてました。 www.jataka.info 齢をとるにつれて、いろいろなも…
引用 我々は自我を張って「私がいる」ことを前提に狂暴に生きていますが、生まれた時から死ぬまで、自分の希望、自分の考え方というのはぜんぜんどこにも通じたことがありません。目をそらさずに発見してください。老衰で寝たきりなっているわがままな人を観…
引用 自我とは「私は完璧だ」と思うことです。いつでも自分が正しいのです。 中略 心のOSには常に「私は正しい」という項目が入っているのです。ですから、いたって簡単に「お前が悪い」という結論に達してしまいます。 私見です このブログ内を「自分が正…
引用 前略 人間にあるのは主観のみで、客観的な事実ではないのです、しかし私たちは、主観でただ自分が感じたことを事実だと思って、いろいろな哲学や学問までつくっています。自分の主観を持って、「私がいる」という概念を持って、我々はあらゆるものを比…
引用 前略 (細胞は)本当は伸びると縮むだけなのに、細胞について考えてみても、いったい40兆の細胞のうち、どの細胞が「私」と言えますか。この爪はあなたですか?いえ、これは爪であって私ではありません。髪の毛の細胞があなたですか?いや、髪の毛は…
引用 「政府」という概念があります。 政府は、どこかにあるわけではないのです。 国会は政府ではありませんし、閣僚も政府ではないのです。総理大臣も天皇陛下も政府ではないのです。 各個人が自分に与えられた仕事を、憲法に従って守っているだけです。首…
引用 前略 それが社会的な地位であろうが、名誉であろうが、どうでもいい話でね。あるいは「覚りを目指すことと社会的な成功は別なんじゃないか」とか、そういう世間が思っていることは、「買い物に行ったら、どんな袋に入れてくれるのか」を心配するような…
引用 前略 よく言う「自分を消す」というのは、「白いスクリーンになれ」というような意味なのです。 私たちは死ぬまで世間で過ごさなくてはいけません。 生きるということは、他の生命と関係を持つことです。 その都度、各生命に対して一時的な自分を投影で…
引用 皆、何かしら、「自分は何者か?」と探し求めています。自分は何か偉い人物・尊い存在であると、そう思っているのです。いわゆるアイデンティティ(自己同一性、変わらない自分)を強化したくて、安定させたくて必死なのです。皆、愚かで無智なのです。…
引用 「我感じる、ゆえに我なし」です。なぜならば、感じることは瞬間で変わるのだから。新たな我が生まれるためには、今の我が死ななくてはいけないのです。瞬間に変わらないと、感覚は成り立ちません。一時的に我があると仮定しても、その我は瞬間的に変わ…
引用 小さな子供をみてください。シャツのボタンをはめられたとか、自分で靴を履けたとか、ささいなことで大喜びしますね。 私たちも、毎日に仕事に対して、子供が初めて成功したときのように充実感と達成感を得られれば、とても楽しく、明るく生きることが…
全文引用 世の中は問題だらけでどうしようもないのです。問題以外、何も存在しません。 しかし、私たちは、問題に関係なく、「自分がいる」と錯覚しています。 「自分がいる」という幻覚が、現実に対して攻撃しても、現実は変わりません。 「私」」という幻…
全文引用 ひとつの問題が、別の問題に対して、「それは問題だ」とは言えないのです。 そもそも私たちは、問題という海に浮かんでいるようなものです。 問題のあるなしとは関係なく、「自分がいる」ということが、ほんとうの問題なのです。 私見です。 昨日は…
引用 自我というのは錯覚の産物です。 それを発見した人の心は、想像を絶するほど軽くなるのです。ちょっと言葉では表現できないくらいです。 「無我」だとわかれば、ものごとに、好きだ、嫌だ、苦しいのだ、大変だ、などなどの判断をすることはなくなります…
短いので全文引用 自分を判断しようとしても、ほんとうは判断の対象となる「自分」はいないのです。 そこにあるのは「行為」だけです。 自分と呼んでいるものは、歩く、喋る、寝る、考える、食べるなど、無数の行為の連続なのです。 どこにも、自分などいな…
テキスト引用 すべての人間の苦しみも悲しみも、あらゆる問題は、「私」」という実感がつくりだしています。その実感は、「私の家族」「私の会社」「私の国」と拡大されて、他との対立、あつれきをもたらします。 私見です。 興味深い自我のお話かありました…
テキスト引用 自我という代物が、苦しみの原因のひとつになっています。それは「自分が偉い」という思考から発生します。 私見です。 仏教を学んで、自我については上記のように、知識をしては知っているのですが、ときどき自我が顔を出すことがあります。 …
引用 自分が監督で、世界は自分の思った通りに動いてほしいと思うのです。 しかし、世界というものは、けっしてそのとおりに動いてはくれません。 私見です。 智瞬様のツイート 「なぜかというと楽しいんです。どういう風に楽しむかというと、〝一つも役に立…
下記で先生は自我を「砂のお城」に例えています。 j-theravada.net ちょっと引用しますね 砂のお城 子供たちが砂のお城を作っているとしましょう。砂と水がうまく混ざってないと、お城は 作れません。やっと、砂のお城ができあがる。それから、どうなるでし…
世俗諦のよくある例えで。 分解する例えがありますね。 とりあえず世間では自動車と呼ばれているものがあります。 バラバラにすると、このタイヤが自動車ですか? このライトが自動車ですか? このハンドルが自動車ですか? このシートが自動車ですか? ある…
慢はいつも心の周りをうろついている煩悩です。 いつも、当たり前のように出てきます。 阿羅漢にならないと消えないらしいので、かなりしつこく心にこびりついている煩悩なんでしょうね。 高慢、卑下慢、同等慢の3つがあります。 高慢は、人と比べて自分が…
仏教では、自我はない、自分はない、ということを説いてますが、科学者の先生がおっしゃると、なかなか迫力があります。 幸福について研究している先生がいらしたのですね 前野隆司先生 前野隆司 - Wikipedia 目を引いた部分があり下記の本より引用します。 …
第九偈では、神様が出てきましたが、第十偈では「覚り」になります。 覚りはいろいろな言葉で表現されます 覚り、悟り、解脱、涅槃(死ぬ意味ではないです)、ニルヴァーナ、寂滅、ニッバーナ などなど。 みんな同じ意味だと思います。 覚りは、仏教の目的で…
ブッダの教え一日一話より 自我という代物が、苦しみの原因にひとつになっています。それは「自分が偉い」という思考から発生します。 我が強すぎると、何事もうまくいきません。学校ではいじめられるし、会社に行っても苦労します。 競争社会の中では、衝突…