「ブッダが教えた本当のやさしさ」 抜粋
人間には他人との関係、他の生命との関係が必要です。その関係が期待どおりなら「やさしい」ということになります。ペットが自分の期待どおりに対応してくれるなら、「うちのペットはやさしい」ということになります。飼っている犬がまるで言うことを聞かず、顔を見ると吠えかかってくるようだと、「やさしくないからどこかにあげてしまおう」という話になります。
ところが、やさしさは必要不可欠なものであると同時に、「あってはならないもの」でもあるのです。
それは他人の「やさしさ」を求めることが、「自分の要求を満たしてくれと、他人に頼むこと」だからです。つまり、やさしさは「他人を自分のために使用すること」なのです。これはあってはならないことでしょう?
エゴが強い凶暴な人は、自分のために他人をとことん支配してしまいます。支配者側は搾取し、支配される側は搾取されます。社会は二つに分かれてしまって、少数が満足してやさしさを味わうのと引き換えに、大勢の人々が苦しまなくてはならなくなるのです。やさしさを求めるあまり、弱肉強食の世界になってしまっているのです。だから「やさしさ」は、私たちが生きるために必要ですが、あってはならないものなのです。
中略
本当のやさしさ
小さなこどもが「お母さん」と呼びかける。それは、お母さんから何か刺激をもらいたいからです。それでお母さんは子供に向けて、「一人でおトイレに行けたの?えらいね」とほめてあげる。そうやって何か刺激を発信してあげるのです。
仕事から帰ってきた旦那さんが、「ただいま」と言う。それを家族が「お帰りなさい」「お疲れ様」と迎える。
そうやって命はつながっているのです。
それは自然なことで、特別なことではありません。
しかしこれが「本当のやさしさ」なのです。
「やさしくいる」ことは、そんなに難しいことではないのです。自我を張らず、よけいなことを考えないで、自然の流れで生きていれば、その人はやさしいのです。
誰にも迷惑をかけていません。誰も損をしていません。弱肉強食ではなく、これが共存主義なのです。これが「あるべきやさしさ」なのです。
世間のやさしさとは全然違うのですが、「自分が生きるために必要な刺激をもらうこと」を「やさしさ」というならば、これこそが「やさしさ」なのです。やさしさの定義は変えていませんが、別物なのです。
ちいさな、かわいい、文庫本です、キンドル版もあります。