私、ついつい貯めてしまうほうかもしれません、たぶん病気です。
使うより貯めてしまう、家内は上手に使うほうだと思います、だから、お金やモロモロのことは家内に任せています。
でも、本当は使うことが大事
貯めても、喜びは少ないですね、貯めるというのは、自分のためだけ、もしくは、自分の身の回りの人々のため、ぐらいでしょうか。喜びに広がりがありませんね。
広がらない、広がらない・・・。
チエリさんの「ブッダ ラボ」より
(1)~(9)まであります。
以下、抜粋
それで、貯めることに喜びはそんなに出て来ないんです。
たとえば、貯金の数字が増えていく。それを隠れて見る。「うん(・∀・)ニヤニヤ)」と、それだけですね。
それからさらにそれを隠さなくちゃいけない。友達には自分に何千万円も貯金があるとばれてはマズいんです。自分の子供たちにもそれを知っちゃうと、なんとかして取り上げようとします。だから隠さなくちゃいかんですね。
ふつうに誰かが「どうですか、どこか遊びにでも行こうか」と言ったら、「これはおそらくわたしの金をねらっているな……」と思ってしまう。その人はふつうに誘っているだけなのにね。つまらないからどこかに行こうよと、誘っているだけなのに。
中略
楽しみ、幸福もあるんですよ、貯めたことに。それが貯めるときじゃなくて、貯めたものを使うときなんです。
そのとき、ムチャクチャ幸せなんです。
貯金をする。ドンドン暗くなるだけで。でもそれで、外国旅行でもしちゃう。結構気持ちいいんですよ。分割払いでもなくドカーンとお金を払って、「部屋は何人部屋にしますか?」と聞かれれば「わたしは一人部屋でよろしいんですよ」とかね。そうやって結構たのしめるんですよ。
金があってよかったというのは使うことにあります。
抜粋終わり
このあと、説法は、捨てることに言及して、捨てまくる話になりますが、
「命の執着も捨てる」ところまで行きます。詳しくは「ブッダ ラボ」をご覧下さい。
まずはわが身にしみついた物惜しみの病気を実践治療しないとですね。