仏教徒になってから、食べることに、あれやこれや考えることが少なくなりました、グルメでもないですし、そんな極端な粗食もしませんし。
食べ物は、単に身体を維持するだけのものです、かといって味気なく食べるのではなく、どんなものでも、美味しくいただきたいです。
「あるものを、美味しくいただく」これがとても大切です。
だから安い定食屋、ファーストフード、安く売っているお弁当やパン、どんなものでも味わって美味しく食べれるという、特技が私にはあります。自慢ではないですが・・。
実際、よく噛んで、ゆっくり食べると美味しいですし、適量で満足します。
食べることに振り回されないっていいもんです。
ダンマパダより
学ぶことの少ない人間は牛のように老いる。
彼の肉体は肥えるが、智慧は成長しない。
ダンマパダ152
中略
最終的には経済的な価値観で結論を出してしまいます。つまり勉強をしてその知識でお金を稼いで、それをどう使うのかということだけを考えるわけです。結局は「次に何を着るのか、今度は何を食べるのか・・・」という思考パターンに陥り、「肉体のお世話をする」という、たった一つのテーマにかかり切りになってしまう。まるでそれが人間の生きる哲学であるかのように。
「それだったら、まあ牛とたいして変わりがないよ」とブッダは指摘されます。
中略
「食」について私たちが気を付けるポイントは、いのちをつなぐために必要な食べ物の量を知ること、良く味わってほどほどにおいしく食べること、それだけ充分なのです。
世の中の人がやっているように、食べることに神経を擦り減らして人生の全精力をつぎ込む必要はまったくないのです。
そんな生き方をして幸せになれるわけがない、というのがブッダの警告なのです。
食べ物や肉体のことばかり考えて、人格を育てようとしない人は、ささいなことでも緊張しておびえてしまいます。少々体の調子が悪くなっただけで神経が壊れて、精神的にどん底に落ち込んでしまうのです。忍耐力がないから、すぐに怒ってケンカばかりする。財産を守るためならどんな悪いこともする。人殺しもするし、強盗もする。戦争まで引き起こす、残念なことに、そういう動物以下の生き方に人類な慣れてしまっているのです。
自分で気付かず生活していて、いつのまにか動物以下になってしまっていたら、かなりヤバいです。