悲しみの箭(矢)を引き抜く
587
摂理によって死んでいく他の人々も見るがよい。
死期が近づくと、生命は震えるもの。
588
どのように思い願っても、起こることはその逆です。
(死なないようにと思っても、必ず死は訪れる。)
無常というのはそういうこと。世間の有様を見てごらん。
589
もし百年、あるいはもっと長く人が生きるとしても、
親族が死別する。ついに自分も命を捨てる。
590
それゆえ、覚者に学び、悲嘆を克服しよう。
逝った死者を見て、「この人、もはや得られない」と(知ろう)
591
家についた火を水で消し去るように、
智慧に満ちた賢者、巧みな人は、湧き起こった悲しみを、
風が綿花を吹き払うように、即座に消す。
592
自分の憂い、未練、悲しみを引き抜くこと。
自分の幸福を求める者は、刺さった(悲しみの)箭を引き抜くのである。
「箭経」の名前の由来が出てきます。
箭は「矢」。
自分の心に刺さった悲しみの「矢」を引き抜きなさい、次の矢が刺さらないようにしなさい。
引用します
中略
そうするためには(悲しみが湧いてきたら、タンポポの綿毛のようにフッと流すためには)理性的な見方が必要です。それは故人を無視したり、死者を軽んじたりすることではありません。亡くなっても、親のことは大事にします。ただその悲しみだけを、パッと流してしまうのです。子どもが亡くなったら、その悲しみをなくしましょう、ということです。これは決して子どもを愛していない、ということではありません。子どもはすごくかわいかったし、長生きしてほしかった、けれども世の中は自分の期待通りにいかないから、思う通りに人生は運ばないから、それを嘆いても意味がないのです。だからこそ悲しみをなくすのです。それは忘れることではありません。子どもが死んでしまったら、忘れようにも忘れられません。そこを誤解してはいけないのです。子どもが死んだ事実は忘れられません「その悲しみをなくせ」、ただそれだけなのです。悲しんでもなんの得にもならないのですから。
「矢」は悲しみ、理性的になって、自分の心を壊す「矢」だけ引き抜きなさい。
悲しみに暮れる人にとってはかなり難しいことかもしれません、でも、それをやらないと、もともと期待通りにいかない人生がもっと悪くなってしまう・・。
イケダハヤトさんのブログに「箭経」が出てました、ぜひご覧ください。