箭経は、最後は、「悟り、解脱、涅槃、禅定」(すべて同義の意味でお願いします)で終了します。
仏教の目的は「解脱」になります。
ですから、経典の「オチ」も「解脱」になります。
解脱の境地は、考えてはいけないことの一つになってます。
考えてもいいんでしょうけど、考えてもキリがないので、やめときなさい、とお釈迦様はおっしゃってます。
『業 / 苦 / 死 』より引用
考えてはいけないこと4つ
①
ブッダたちの、ブッダとは何ですかという領域・境地のこと(ブッダとはこういうものだというブッダに対するすべてのこと)は、考えても考えても終わりません。考える人の心は狂気になります。
②
禅定の経験に入っている修行者の禅定は何かということは、人間には考えることは不可能です。考えてはならない、考える人の心は狂気になります。
③
業と過去は考えても終わりがない。考える人の心は狂気に陥ってしまいます。
④
世間の考察も思考し尽くせるものではありません。思考する人の心は狂気に陥ってしまいます。
つまり考えてはいけないこと四つというのは、「ブッダの境地」「禅定」「業」「世間」だということです。
ブッダの境地も、禅定も、一定の人間の領域を超えています。言葉で考えたり説明できる範囲のことではないのです。時空を超えていますから、考えても考えきれないのです。また四番目の「世間」というのは、現代の一般的な「世間」とは少し言葉の意味合いが違っていて、「生命」「宇宙」と同義です。
仏教徒なら、「悟り」を目的として、冥想や勉強をして、日々の生活を営なければなりません、ただ翻って、私の生活はどうか?というと、悟りには程遠い感じがします。
本当に真剣に悟りを得ようと思っているのか?
冥想するのも、悟りのためでなく、日常の心の安定を得たいために、やっているのではないか?
仏教を勉強するのも、悟るためでなはくて、仕事とか人間関係に悩むことなく、日常をスムースに過ごしたいために、勉強しているのではないか?
こんなことでは、お釈迦様に「愚か者」と言われそうです。
気を取りなおして、悟りの境地はわからないですが、悟りを得るまでの段階は詳しい説明があります。
最初の段階くらいは行きたいなあ、という気持ちになります。
詳しくは、藤本晃先生の「悟りの階梯」をご覧ください。
本もあります

悟りの階梯―テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造 (サンガ新書)
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今も昔も「私は悟りを得た」とか、「私は解脱した」とか「私は阿羅漢だ」とか「私はブッダだ」とか言う人がいますが、この本を読むと、どれも怪しいというか、嘘だとはっきりわかります。
かなり回り道をしましたが、箭経に戻ります
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箭を引き抜き、涼やかになり、こころのやすらぎを得る。
一切の慈しみを乗り越えて、悩みなき寂静に達する。
「悟りなさい」で箭経は終了します。
ゴールは涅槃
お釈迦様がおっしゃっているのはそのことなのです。人間には短い時間しか与えられていないnだから、ゴールを目指して頑張ってください、と涅槃がゴールなのです。
自分に縁ある誰かの死に足を引っ張られて自己破壊していたら話になりません。家が壊れたといって自己破壊していたら、商売がうまくいかないといって自殺していたら話にならないでしょう。ですから、仏教徒は涅槃・解脱というゴールを目指して頑張るのです。だからこそ日常生活では失敗しません。日常生活のトラブルで悩んで苦しんだり、他人を嫉妬したり、足を引っ張られたり、そんな時間の無駄はしません。憂い、悲しみ、苦しみを、タンポポの綿毛のように、フッと吹き飛ばしてください。親が死んでしまっても、子どもが死んでしまっても、「あぁ、悲しい。では、また頑張ろうか」とすくに矢を抜いてほしいのです。
そうしたメッセージがこの経典に込められています。
後略
「あぁ、悲しい。では、また、頑張ろうか」です。