「ブッダの教え一日一話」より
自己主張が強いと、あちこちでトラブルが起きます。あまりに自分のことばかり考えて生きていると、生きづらい環境をつくってしまうのです。
逆に人の世話をすることがカッコいいとも思わないほうがいいのです。
自分のことさえろくに知らないのに、その人にとってほんとうに何が必要なのかわかるはずがないのです。
自己犠牲によって人の役に立とうとするのは、ただの大きなお世話になってしまうのです。
人間って不思議なもので、自分のことは棚にあげて、人のことが気になります。
人に「あーせい、こーせい」と言う前に、本当は自分のことをキチンと見なければいけないと思います。
人のお世話も同じかもしません。
自分のやるべきとことを中途半端にして、「あーしたい、こーしたい」と人のお世話をしてはいけません。
私もこのパターンです、要注意です。
どちらも中途半端で終わる可能性があります。
慈悲の冥想でも
最初は「私は幸せでありますように」
次のフレーズが「私の親しい生命も幸せでありますように」
次が「生きとし生けるものが幸せでありますように」
次が「私の嫌いな生命も幸せでありますように」
次が「私を嫌っている生命も幸せでありますように」
最後に「生きとし生けるものが幸せでありますように」
まず、自分が幸せになってから、周りの
役に立つように努力する。
いたって当たり前のことですね、仏教では自己犠牲はNGです。
最後まで読んでいただきありがとうございました
生きとし生けるものが幸せでありますように。