「一分で読むブッダの教え」」より
気楽に生きる人にとって、世の中で何が起こっても、それは冗談や笑いの原因であって、悩みの種ではありません。
出家している我々にとっては、もう何が起ころうが、すぐ笑えます。「あっ、大変だ。どうしてこんなことが?」ということは、ないのです。
それが幸福というものではないでしょうか?
仏教徒は、緩くて気楽です、たぶん自分が死んでしまうことも冗談や笑いの種にしますね。
「あっ、大変だ。どうしてこんなことが?」という事象も笑いの種にしますね。
自分に、心に引っかかる悩みの種があるとして、よく見てみると「本当にこれが深刻な悩みの種なの?」また、よく見てみると、「この悩みで、最悪でも、たぶんこの結果かあー、たいしたことない」で終わるパターンもあります。
悩みはたいしたことない、むしろその悩みが原因で、心が落ち込んだり、怒ったり、後悔したり、欲が出たり、「心の状態」を重視しますね。
仏教徒は緩いですけど、「心の状態」を見ることに関しては、妥協はないです。
いろんなことが自分に降りかかりますけど、よい心の状態で接したいです、というか接するしかないんですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。