善友から「読んでください」と法話のプリントをいただきました。
毎回、お会いするたびに、法話や仏教関連の資料のプリントをいただきます、ありがたいことです、勉強させてもらっています。
仏教徒は日々勉強です。
今回いただいたプリントはPDFでも公開されているので、読むことができます。
京都府、宝泉寺様で行われた、スマナサーラ長老の法話の記録になります。
宝泉寺様 曹洞宗のお寺です、住職の笛岡様は初期仏教の造詣が非常に深い方です。
笛岡様の文章を読むことができます
私が善友からいただいた法話は下記の「ヴィッパサナ―冥想(業・善行為)」の部分になります、長老の法話をPDFで読むことができます。他の法話も読みごたえがあります。
http://housen.main.jp/bukkyou/bukkyou-index_2.html
いただいたプリントで、とても心に残った部分は
善行為とは不貪、不瞋、不痴があるならば善行為なんですね。実況中継すれば、その瞬間瞬間に心が自ら、必然的に不貪、不瞋、不痴なんです。だから自ら心は清らかに瞬間瞬間なるんです。妄想割り込むと、もうわかったもんじゃない。それはもう悪行為。妄想割り込まないで実況中継できれば、純粋に不貪、不瞋、不痴。だからどう見たって徳の中のトップグレード。それの上はないということになります。だからただ単に実況中継してみれば人生はすごい好転するのはそういう訳なんです。かなり不幸が減っていくんです。
ヴィッパサナ―冥想は最高の善行為である、という理由になります。
世間でよく言われる善行為をするよりも、貪瞋痴を少しでもやらないほうが、はるかに善行為だ、ということです。
まだ、心に残った部分がありますので、もう少し読んでみます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。