第一回仏典結集を経て、仏滅後100年経ったころ、第二回仏典結集が行われます。
主に、戒律関係ですね。
戒律に関して変えていこうという比丘たちと、そのまま守っていこうという長老たちとの間で亀裂が生じた、その対立です。
お釈迦様が、布教を始めた最初の頃は、戒の心配はしなくてもよかったのかもしれませんが、いろいろな方が出家して、サンガの人数も増えると、予想もしかったようなことが起きたのでしょう。
十事が議題となりました、十事は長老たちによって非法とされました。
十事は全て戒に関することです。
先生は、戒は、在家からのクレームで成り立つとおっしゃってました。
在家の方々が、あまりにも目に余るお坊様をお釈迦様に訴えたのでしょう。
時代が経つにつれ、守られていない、有名無実な戒もあったのでしょう、こういった守られていない戒は変えよう、という動きがったのかもしれません。
金銭の布施を受ける比丘は多く、戒律違反になりますが、本人が戒律を破っているだけで、戒律を変えようという意見はテーラワーダ仏教にはないとのことです。
引用です
この問題をきっかけとして保守派である長老たちの上座派と、進歩的な比丘たちの集まりである大衆派分裂したと言われています。
これを根本分裂と呼び、のちに起こる枝末分裂へと進んでいます。
第三回仏典結集 仏滅後236年
第四回仏典結集 仏滅後450年
これまで、経典は基本的に暗記、口伝だったのです、暗記口伝だと「正確ではない」という感じを持つかもしれません。
しかし、自分でも護経を唱えているとわかるのですが、正確でないと一発でわかります、うろ覚えだと、声に出すことはできません、かえって文字にするほうが危ないです、誤記したり、間違えると、間違えたままになります。
戦乱で長い間、離ればなれなったお坊様たちが、お互い暗記口伝しているお経を唱え合って、確認しました、間違いはなかったとのことです。
この時代から、お経は筆記されました。
長年,暗記口伝されていたパーリ語には文字がありません。
発音はあるのですが、文字がないのです、ですからその国の文字で表記されます。
ビルマ語
ローマナイズ
日本語だったらカタカナで
第五回仏典結集 1871年
ミャンマーでの結集です。
第六回仏典結集 1954年
一番最近の結集です、ミャンマーで行われました。
第六回仏典結集のティピタカが、いろいろな経典の底本となっています。
ネットでも読めます。
日本では「南伝大蔵経」になりますが、残念ながら、ネットでは公開されていません。
大正大蔵経はネットで読むことができますが、南伝大蔵経は公開されていません、国立国会図書館の見解です。
http://www.ndl.go.jp/jp/news/fy2013/report140107.pdf
次回はやっと、ティピタカのインデックスだけ触ります。
生きとし生けるものが幸せでありますように。