お盆がきますので、下記の本を読みました。
購入したことを忘れてて、危うくもう一回買うところでした。
サンガからも出ています、こちらは、まだ読んでいませんが
サーリプッタ尊者の、四つ前の生の母が、サーリプッタ尊者の功徳廻向を受け取り、天女になりました。
功徳を指定しないと、餓鬼の心を変えることができないようです。
藤本先生の「仏教の正しい先祖供養」から引用です
人間のような体を持たず、ただ前世の悪行為の苦果を味わうだけの餓鬼道では、自分でほかの餓鬼たちに布施などの善行為をしてその功徳で救われることはできません。人間界の縁者など、自分とコンタクトできるだれかの善行為を一緒に喜ぶ、随喜という心の善行為を作るしか、功徳を生むチャンスはありません。
しかも、おそらくケチや嫉妬、やっかみなどのために餓鬼に生まれたからでしょう、餓鬼は他人の善行為をただ素直に喜ぶことはできないのです。他人の善行為がわざわざ「あの餓鬼のためになりますように」と、自分に振り向けられ、廻向されたときだけ、「ああ、この善行為は素晴らしい」と共鳴して、やっと素直に喜べるのです。
感想です
本では、廻向は餓鬼道にいる方のみにためになる、とあります。
天人(天国)だったら、人間の功徳が必要ないくらい恵まれています。
地獄だったら、地獄はアクセス不可能なので廻向は届きません。
人間や畜生は廻向は必要ないとのことです。
人間の、ケチ、やっかみ、怒り、嫉妬、という感情はタチが悪くて、直さないまま死ぬと、次の生まれは餓鬼道なんでしょうね。
でも、この悪い心はかなり頑固です、かたくなです。
ピンポイントに指定して、廻向しないとダメなのですね。
お布施のときに、ピンポイントに餓鬼に廻向する、善行への随喜の心が生まれる、随喜の心で、悪い頑な心が変わる、餓鬼が変わる。餓鬼道から抜け出せる?
私の関わりのある方も餓鬼道にいるでしょう。
普段のお参りは
「生きとし生けるものが幸せでありますように」ですが
お盆のお参りは
「餓鬼道にいる生きとし生けるものが幸せでありますように」と廻向して、お参りしたいとおもいます。
せっかくのお盆ですので、お盆の意義を調べてみるのもいいのではないでしょうか?
下記の本が、本当に勉強になりました。
藤本先生ありがとうございました。