本日はスリランカのお寺で、善友が集まり、特に目的を決めずにおしゃべり。
基本的にお寺は、出入り自由です。
お参りしてもいいし、勉強してもいいし、冥想してもいいし、自分のやりたいことをやっていただいければいいです。
今回は「茶話会」というのでしょうか・・。
「茶話会」というと、お茶を飲みながらお話でもする会なのかな、と思っていたら。
全然違う意味がありました。
政治家の院内派閥の呼称だったんですか?
茶話会(さわかい)
でも、こちらの意味の方が知られています。
「茶菓で談話を楽しむ、肩のこらない集まり、ちゃわかい、ともいう」
そんな会でしたね。
近況や、日頃思ってることや、疑問に思ってることや、その他いろいろ。
おしゃべりを否定しているわけではありませんが、仏教では自分の役にも、他人の役にも、みんなの役にも立たない、どうでもいいおしゃべりは戒めてます。
おしゃべりについて。
日頃の生活では、けっこうムダなおしゃべりをしています、目的もなく、ストレスのせいでしょうか、ただしゃべりたいから、しゃべる、ということもあります、でもしゃべってみたら、「なんの役にも立たんかった」と反省することも多いです、しゃべりたいからしゃべるというのは危険なのでしょうね。
もっと危険なのは「心のお喋り」ですね。
hohiさんのHPに長老の法話メモがあります。
でも、おしゃべりしてると、たまに、もっともっと勉強している善友から、何かいいヒントをいただくことがあります、日頃、疑問に思うことを尋ねたりするとか、得るものは自分で探さなければなりませんが、茶話会がそのチャンスになることがあります。
しゃべるのは上手じゃないので、聞くほうがいいかな。
本日は有意義な茶話会でした。
生きとし生けるものが幸せでありますように。