テーラワーダ仏教では「慈しみの心」は、教義の中心を成す、とても大切なことです。
「慈悲」「慈しみの心」です。
「慈教」というお経があり、短いながらもムダがなくしかも具体的に慈悲の実践を説いています。
日本の大乗仏教を調べているのですが、なかなか慈悲を説いたお経を見つけることができません。
勝手な想像ですが、慈悲は、簡単なことに見えてしまうので、中国とかに伝播していくうちに、当時の知識階級のお坊様から簡単で価値のないもの、ということで軽んじられてしまったのでしょうか?
仏教にはかなり難しいお経もありますが、慈教は非常に重要なお経です。
大乗仏教の阿弥陀信仰や般若心経を唱えるより、もっと大切なことが、このお経にあります。
大乗仏教の経典で慈悲の心を説いたものがあったらお教え下さい。
いまだに見つけられません。
先日、曹洞宗のお坊様と話をしていて、この話になりました。
『「慈悲」を説いてるお経がなかなかない』とのこと。
私なりに調べました。
慈悲や慈しみを説いてるお経はありませんが、鋭い道元様は、中国に伝播する中で、ゴチャゴチャした偽経の中から、きちんとお釈迦様の教えを選んでます。
これかな?と思ったのは、正法眼蔵の菩提サッタ四摂法にある「愛語」です。
総持寺様のHPより
四摂法には「布施、愛語、利行、同事」の4つがあります。
これは、パーリ仏典、長部 三十二相経、等誦経にもあります。
拡大解釈になるかもしれませんが、慈しみの心がないと愛語を使うことはできません。
道元様の四摂法の引用です
愛語というは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし顧愛の言語をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。
略
慈念衆生、猶如赤子のおもひをたくはへて言語するは愛語なり。
愛語とは衆生を見るときに、まず慈愛の心をおこし愛顧の言葉をほどこすことです、およそ暴悪の言葉は口しないことです。
衆生に慈しみの念をもち、赤ちゃんのように(慈しむように)おもいをたくわえて語るのは愛語です。
慈教にも似た部分があります
「あたかも母が、たった一人の我が子を、命がけで守るように」
たくさんある偽経の中から、お釈迦様の教えを選び取る、道元様は、ほんとに凄い方です。
このような理解ですが、ご意見がありましたらご指摘ください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。