お寺で、読経したり、お経を聞いたりします。
いまのところ暗唱できるのは
ワンダナー 礼拝
ティサラ 三帰依
パンチャシーラ 五戒
懺悔誓願の文
ダンマワンダナー 法の六徳
サンガワンダナー サンガの九徳
カマーヤーチャナー 三宝に対する懺悔
ティラタナワンダナー 三宝に帰依するための偈
ブッダーナサーサナー 諸仏の教え
以上の中で一番好きなお経は「ブッダーナサーサナー」
パーリ語仏教用語集 『パーリ経典 諸仏の教え:BUDDHÂNU SÂSANAM(1-3)』
これから、頑張って覚えたいのは慈教(メッタスッタン)
暗唱できないお経でも、聞いてたら「たぶんこれだな」とだいたいわかります。
ただ、主にわかるのは護経の範囲で、お坊様専用に唱えるお経はわかりません。
お経は、本当は意味がわかって唱えたり、聞くのが大事なのでは・・・。
日本のお葬式や法事で、頑張って経本を読みながら唱えますが、漢字ばかりで意味がとれないこともあります。
もしかしたら意味のわからない方がほとんどじゃないでしょうか?
せっかく、みんなが集まり、お経をあげるのに、自分は唱えずにお坊様に言わせっぱなし、唱えても意味がわからない、というのは、ちょっとおかしいような、もったいないような気がします。
それだけ、日本の仏教は形骸化してしまったのでしょうか?
意味もわからず、形式ばかり重視するとおかしなことになります。
これは、大乗仏教ばかりでなく、テーラワーダ仏教にもいえることなのですが。
私が暗唱できるお経はすべて意味があり、実践すべき大切なことが書いてあります、言葉の意味もわかります、その意味に納得してます。
またまた、西澤先生の言葉から引用になります。
心に残った箇所です
五戒文を唱えることも功徳はありますが、守るために唱えているのが本来の目的です。
慈経もどのように実践するか説かれたお経ですから慈の心をおこさないと本来の意味から離れると思います。
薬の名前や効能書きを唱えても実際に飲まないと薬の効果はありません。
ミャンマーのモウゴッサヤドーの話の中で普通の人々は飲み薬を飲まずに塗るようなことをしていると説法しています。
薬の名前や効能書を唱えたところで、飲まないと薬の効果はありません。
意味がわからず唱えても、聞いても、心になんの効果もない。
内容を理解して守ること、これがお経の本来の目的だと思います。
目的から外れたことをするのは、時間とお金、自分自身の功徳の点でも、もったいないです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。