子どもが誕生するということは、人間として生まれてきた、ということです。
天界、人間界、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の、人間界に生まれてきたということです。
これだけでもラッキーですね。
私には子どもがいますが、生まれてきたときは嬉しかったです。
その成長も楽しいです。
嬉しいし、楽しいのですが、あれやこれや考える方もいるみたいです。
子どもが生まれてくることは、苦の始まりなんだから、祝福されるべきでしょうか?
という質問に西澤先生が答えてます。
生きることは苦だと、お釈迦様は説いてますが、だからといって、誕生の祝福云々には関係ないんじゃ・・。
生きることは苦ですが、それにしたって、人生のスタートにあたって、あれやこれや悩まなくてもいいのでは、と思います。
考えすぎでは? と思います。
下記、西澤先生が回答してます。
人間に生まれてくることは稀ですので、これだけでも喜ぶ価値があります、大いに祝福です。
人間に生まれて、善業を積んだら、もっと祝福です。
先生は「パスカルの賭け」を引き合いに出してます。
「神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける?
いや、どちらかを選べということがまちがっている。正しいのは賭けないことだ。
そう。だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」
すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。
賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。 賭け金は自分の人生である。
神が存在するという方に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。
しかも、君の人生は意味あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。
反対に、神は存在しないという方に賭けたとしよう。
その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。
死後は虚無とみなすわけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。
来世の幸福をすべて失うことになるからである。
パスカル著 『パンセ』
どういう神かわからないので、賭けはできないなあ。
仏教では、神様は天界の方々です、賭けの対象にはならないなあ。
私もお釈迦様に賭けたほうがいいです。
賭金は私の残りの人生、ということです。
具体的なご利益があるほうがいいなあ。
パスカルさん、具体的じゃないです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。