ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

子どもの誕生

子どもが誕生するということは、人間として生まれてきた、ということです。

 

天界、人間界、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の、人間界に生まれてきたということです。

 

これだけでもラッキーですね。

 

私には子どもがいますが、生まれてきたときは嬉しかったです。

その成長も楽しいです。

嬉しいし、楽しいのですが、あれやこれや考える方もいるみたいです。

 

子どもが生まれてくることは、苦の始まりなんだから、祝福されるべきでしょうか?

という質問に西澤先生が答えてます。

 

生きることは苦だと、お釈迦様は説いてますが、だからといって、誕生の祝福云々には関係ないんじゃ・・。

 

生きることは苦ですが、それにしたって、人生のスタートにあたって、あれやこれや悩まなくてもいいのでは、と思います。

 

考えすぎでは? と思います。

 

下記、西澤先生が回答してます。

arana-vihara.blogspot.jp

 

人間に生まれてくることは稀ですので、これだけでも喜ぶ価値があります、大いに祝福です。

 

人間に生まれて、善業を積んだら、もっと祝福です。

 

先生は「パスカルの賭け」を引き合いに出してます。

「神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける? 
いや、どちらかを選べということがまちがっている。正しいのは賭けないことだ。 
そう。だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」 

 すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。 
賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。 賭け金は自分の人生である。 

 神が存在するという方に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。 
しかも、君の人生は意味あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。 

 反対に、神は存在しないという方に賭けたとしよう。 
その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。 
死後は虚無とみなすわけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。 
来世の幸福をすべて失うことになるからである。
                          パスカル著 『パンセ』

 

どういう神かわからないので、賭けはできないなあ。


仏教では、神様は天界の方々です、賭けの対象にはならないなあ。


私もお釈迦様に賭けたほうがいいです。

賭金は私の残りの人生、ということです。


具体的なご利益があるほうがいいなあ。

パスカルさん、具体的じゃないです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

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