ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

慈経(メッタスッタ)を覚える(9)第二偈 四行目

第二偈

 

サントゥッサコー チャ スバロー チャ

アッパキッチョー チャ サッラフカヴッティ

サンティンドゥリョー チャ ニパコー チャ

アッパガッボー クレース アナヌギッド

 

第四行目です

アッパガッボー クレース アナヌギッド

 

分解します。

 

アッパガッボー

傲慢ではない

 

クレース

家々において

 

アナヌキッド

貪り求めないもの

 

(また)傲慢ではない、(托鉢する)家々において 貪り求めない

 

協会訳

裏表がなく在家に執着しないように

 

 

出家のお坊様に言ってるのでしょうか?

 

アッパガッボー

お坊様に裏表があると非常にまずいです。

 

テキストからの引用です

たとえば心は落ち着いていないにもかかわらず、信者さんたちが来るとすごく丁寧に落ち着いたふりをする。冥想なんかしないにもかかわらず、人が来る時間だと思ったらサッと冥想を始める。「皆が褒めてきれるだろう」とか「私のことをよく思ってくれるだろう」と計算しながら行為をするのは、出家であろうと在家であろうと、ものすごく嫌らしい行為です。

 

腹の中ではまったく違うことを考えるのは傲慢なんでしょうね。

 

裏表がないほうが、愛嬌があっていいです。

 

でも「ええかっこしい」はタチが悪いです、「ええかっこしい」はやめなさい、ということです。

 

 

クレース アナヌキッド

とても良く世話をしてくれる在家は、ありがたいですけど、お坊様たるもの、それから離れることができないで執着してはいけません、ということです。

 

良くしてくれることに執着すると、人間関係、経済関係など、いろいろなしがらみが生じます、泥沼になるかもしれません、泥沼の状態では慈悲の冥想はできませんね。

 

泥沼ではなく「あっさりと」が大事です。

 

在家も同じことがいえます。

 

 

ここまで、慈悲の実践をするための前段階を説いています。

 

簡潔にムダなく具体的に説いてます、日本のお経とはまるで違います。

 

 

お釈迦様の要求はかなり高いです、いまだに慈悲の実践はやらせてもらえません。

 

ここまでやらなければ慈悲の実践はできない、ということです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。