お経の暗唱は第五偈まで覚えました。
第六偈にとりかかってます。
若いころはこれくらい簡単に暗唱できたのでしょうけど、50歳を過ぎると記憶力がガクンと落ちます。
一週間かかって、やっと一偈を覚えます。
テキストは下記を参照していますが
もう一冊参照しています
木岡治美さんの「日常読誦経典 パーリ語ノート」
アラナ精舎の落慶法要記念に出された本です
落慶法要には参加できませんでしたが、なぜか持っています。
木岡様、ありがとうございます。
いよいよ第三偈です
第三偈
ナ チャ クッダン サマーチャレー キンチ
イェーナ ヴィンニュー パレー ウパワデッユン
スキノー ワー ケーミノー ホントゥ
サッベー サッター バワントゥ スキタッター
(智慧ある)識者たちが批判するような、
どんな小さな過ちも犯さないように。
幸福で平安でありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
ナ チャ クッダン サマーチャレー キンチ
イェーナ ヴィンニュー パレー ウパワデッユン
分解します
ナ
否定 副詞
チャ
そして
しかしして
クッダン
小さな
サマーチャレー
行う
実行する
(頭の否定の副詞をつけて)
ナ サマーチャレー
行うことのないように
キンチ
なんであれ
イェーナ
それによって
ヴィンニュー
識者たちが
パレ
他の
ウパワデッユン
非難するであろうような
くっつけると
なんであれ それによって 識者たちが他を非難するであろうような、しかしして 小さなことをするなかれ
協会訳
(智慧ある)識者たちが批判するような、どんな小さな過ちも犯さないように
小さな過ちは、仏教でいう「悪いこと」かな?
派手でわかりやすい大きな悪いこともありますが、日常の意識もしないような小さな悪いこともあります。
仏教はいいこと、悪いことは決まってますので、だいたいは判断できるのですが、でも怖いのは「小さな悪いこと」です。
「小さな悪いこと」は、知らないうちに少しづつ貯まってきて、いつのまにか、にっちもさっちもいかなくなります、いつの間にか、まともなことが出来ない人間になっています。
ちょっとずつ、じわじわ侵されるほうが怖いです。
仏教を学ぶ善友から「それはダメだよ」と言われたことは、やらないほうがいいです。
どうでもいい人からどうでもいい非難をされるのは平気ですが、人格者からとがめられたら真剣に直さなくていけないです。
一番の人格者はお釈迦様です、お釈迦様が「ダメだよ」ということは、頑張ってやらないほうがいいです。
人格者が「それは善くないよ」というような、どんな小さな悪いこともしないように。
小さな悪いことができない人は、当然、大きな悪いこともできません。
大きな悪いことは、小さな悪いことの積み重ねなんでしょうね。
次はいよいよ、慈悲の実践をやらせていただけます。
生きとし生けるものが幸せでありますように。