ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

慈経(メッタスッタ)を覚える(16)第六偈 第一行目、第二行目、これをやると慈しみから遠ざかります。

ここで、慈しみから遠ざかる行為をあげてます。

これをやると慈しみから遠ざかります。

 

「私は絶対やってません」と言う自信はありません

でも、これをやってしまう、こんな心でいると、悪いことを引き寄せそうです。

 

 

第六偈

 

ナ パロー パラン ニクッベータ

ナーティマンニュータ カッタチナン カンチ

ビャーローサナー パティガサンニャー

ナーンニャマンニャッサ ドゥッカ ミッチェッヤ

 

どんな場合でも、人を欺いたり、

軽んじたりしてはいけません。

怒鳴ったり、腹を立てたり、

お互いに人の苦しみを望んではいけません。

 

第一行、第二行です

ナ パロー パラン ニクッベータ

ナーティマンニュータ カッタチナン カンチ

 

分解します

 

ありません

(否定の副詞)

 

パロー

ひとは

 

パラン

他人を

 

ニクッベータ

欺くべきでは

 

ナーティマンニュータ

(ナ+アーティマンニュータの連声)

 

ではありません

 

アーティマンニュータ

軽蔑すべき

 

カッタチナン

どこにおいても

 

カンチ

誰をも

 

 

くっつけます

 

ひとは 他人を 欺くべきではありません

どこにおいても 誰をも 軽蔑すべき ではありません

 

協会訳

どんな場合でも、人を欺いたり、

軽んじたりしてはいけません。

 

 

「人を欺いたり、人を軽んじたり」

普段はそんなことしない! なんて思っても周りの条件が変われば、私は弱い人間なので、やってしまうかもしれません。

お金に目がくらんで人を欺いたり、自分のすごく得意なことを自慢して、いつのまにか他人を見下していたりとか。

 

「どんな場合でも」がポイントだと思います。

「どんな場合でも(いかなる条件下でも)」「やってはいけない」ということでしょう。

 

例外は無い、ということです。

 

やってしまうと、せっかくの慈しみから遠ざかり、自分でわざわざ悪い結果を導くことになるのでしょうね。

 

第三行、第四行も、慈しみから遠ざかることを説きます。

 

 

読んでいただきありがとうございます。

生きとし生けるものが幸せでありますように。