ここで、慈しみから遠ざかる行為をあげてます。
これをやると慈しみから遠ざかります。
「私は絶対やってません」と言う自信はありません
でも、これをやってしまう、こんな心でいると、悪いことを引き寄せそうです。
第六偈
ナ パロー パラン ニクッベータ
ナーティマンニュータ カッタチナン カンチ
ビャーローサナー パティガサンニャー
ナーンニャマンニャッサ ドゥッカ ミッチェッヤ
どんな場合でも、人を欺いたり、
軽んじたりしてはいけません。
怒鳴ったり、腹を立てたり、
お互いに人の苦しみを望んではいけません。
第一行、第二行です
ナ パロー パラン ニクッベータ
ナーティマンニュータ カッタチナン カンチ
分解します
ナ
ありません
(否定の副詞)
パロー
ひとは
パラン
他人を
ニクッベータ
欺くべきでは
ナーティマンニュータ
(ナ+アーティマンニュータの連声)
ナ
ではありません
アーティマンニュータ
軽蔑すべき
カッタチナン
どこにおいても
カンチ
誰をも
くっつけます
ひとは 他人を 欺くべきではありません
どこにおいても 誰をも 軽蔑すべき ではありません
協会訳
どんな場合でも、人を欺いたり、
軽んじたりしてはいけません。
「人を欺いたり、人を軽んじたり」
普段はそんなことしない! なんて思っても周りの条件が変われば、私は弱い人間なので、やってしまうかもしれません。
お金に目がくらんで人を欺いたり、自分のすごく得意なことを自慢して、いつのまにか他人を見下していたりとか。
「どんな場合でも」がポイントだと思います。
「どんな場合でも(いかなる条件下でも)」「やってはいけない」ということでしょう。
例外は無い、ということです。
やってしまうと、せっかくの慈しみから遠ざかり、自分でわざわざ悪い結果を導くことになるのでしょうね。
第三行、第四行も、慈しみから遠ざかることを説きます。
読んでいただきありがとうございます。
生きとし生けるものが幸せでありますように。