ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

慈経(メッタスッタ)を覚える(20)第八偈 第一行目、第二行目、慈しみを育てる

 

慈経の暗唱ですが、第十偈までできるようになりました。

何も見なくても、唱えることができます。

 

嬉しい、嬉しい。

 

今まで、つっかえつっかえでしたが、これからは、法友といっしょに思いっきり唱えることができます。

 

さて

第七偈で母のような気持ちに近づきました。

この慈悲の心をを育てなくていけませんね。

 

第八偈は慈悲の心の育て方を説いてます。

 

 

第八偈

 

メッタン チゃ サッバ ローカスミン

マーナサン バーワイェー アパリマーナン

ウッダン アドー チャ ティリヤン チャ

アサンバーダン アヴェーラン アサパッタン

 

慈しみの心を一切世間(すべての生命)に対して、

限りなく育ててください。

上に、下に、横(周り)に(棲むいかなる生命に対して)も、

わだかまりのない、怨みのない、敵意のない心を育ててください。

 

第一行目、第二行目、

メッタン チェ サッバ ローカスミン

マーナサン バーワイェー アパリマーナン

 

分解します

 

メッタン

慈しみの

 

チャ

また

 

サッバローカスミン

すべての世間(生命)に対して

 

マーナサン

こころを

 

バーワイェー

育てるように

 

アパリマーナン

(ア)否定

(パリマーナン)量、制限

無量の 制限なく

 

くっつけます

慈しみの また すべての生命に対して 心を 制限なく 育てるように

 

協会訳

慈しみの心を一切世間(すべての生命)に対して、

限りなく育ててください。

 

慈しみの心を制限なく育てるように・・。

 

慈しみを制限するものは何でしょう?

第六偈に出てきた「欺いたり、軽んじたり、怒鳴ったり、腹を立てたり、人の苦しみを望んだり」というこころになるのでしょう。

 

 

第六偈の感情を全て捨て去ることはなかなかできませんが、そういった感情から離れることで、慈しみを育てることができる、無制限にぐいぐい伸ばすことができる、ということでしょうか。

 

例えば

電車に乗ったとき、こころの中で「この電車に乗っているひと、すべてが幸せでありますように」と唱えてみます。

慈しみの練習には最高です。

 

あるいは、自分の嫌いな人を思い浮かべて「幸せでありますように」と唱えてみる。

それも、母親がひとりの息子を命がけで守ろうとする、という気持ちで行います。

 

これはちょっと難しいかもしれません、お釈迦様の要求は常に高いです、でも仏教徒は挑戦しなければなりません。

 

なんのために挑戦するのでしょう?

 

自分のためですね。

 

挑戦は続きます。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。