もともと、慈経を暗唱できるようなりたい、と思って始めました、言葉の意味も知りたいと思いいろいろ調べました。
当初の目標通り、何も見なくても暗唱できます。
言葉の意味も知ることができました。
一番大きな収穫は、慈悲の実践を続けることで、想像もできないような、もっと高いレベルで実践すると覚ることに近づくことができるということがわかった、ということです。
解脱には四段階あります、そのどれにも達するとのことです。
「預流果、一来果、不還果、阿羅漢果」
段階があり、阿羅漢果で終了です。
ダンマパダ368偈には、慈しみに徹すると覚りに至ることが書いてあります。
下記の本より引用します
引用します 法句368より
仏の教えに心清まり 慈しみに住む比丘は
諸行の寂滅、安楽なる 寂静の境を得るであろう
解脱したら、もう輪廻から脱したということなので、終了です。
お釈迦様の結論は解脱になります。
覚りの世界は言葉には出来ないので、これ以上深追いせず、訳のみで終了したいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第十偈
ディッティン チャ アヌパガンマ
スィーラワー ダッサネーナ サンパンノー
カーメース ヴィネッヤ ゲーダン
ナ ヒ ジャートゥ ガッバセッヤン プナレーティー ティ
(このように実践する人は)邪見を乗り越え、
常に戒を保ち、正見を得て、
諸々の欲望に対する執着をなくし、
もう二度と母体に宿る(輪廻を繰り返す)ことはありません。
分解します
ディッティン
(邪)見に
チャ
また
アヌパガンマ
近づくことなく
スィーラワー
戒を保ち
ダッサネーナ
(正)見を保ち
サンパンノー
具え
カーメース
欲、愛欲に対する
ヴィネッヤ
ととのえおさめて
ゲーダン
貪りを
ナ
ことはありません
ヒ
まさしく
ジャートゥ
決して
ガッバセッヤン
母体の臥床(子宮)に
プナレーティー
再び赴く
ティ
と
くっつけます
(邪)見にまた近づくことなく 戒を保ち (正)見を備え
欲、愛欲に対する 貪りをととのえおさめて
まさしく 決して 母体の子宮に 再び赴くことはありません。と。
協会訳
(このように実践する人は)邪見を乗り越え、
常に戒を保ち、正見を得て、
諸々の欲望に対する執着をなくし、
もう二度と母体に宿る(輪廻を繰り返す)ことはありません