ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

前野隆司先生の受動意識仮説 「心とは何か」

仏教では、自我はない、自分はない、ということを説いてますが、科学者の先生がおっしゃると、なかなか迫力があります。

 

幸福について研究している先生がいらしたのですね

前野隆司先生

前野隆司 - Wikipedia

 

 

 

目を引いた部分があり下記の本より引用します。

 

仏教と科学が発見した「幸せの法則」

仏教と科学が発見した「幸せの法則」

 

 

受動意識仮説

私たちには、自分の意識が自分の全てを動かしているイメージがありますが、前野先生は研究することで、それが180度変わってしまったとおっしゃいました。その研究結果を踏まえて「心とは何か」ということについて教えてください。

 

前野

私が提唱している受動意識仮説によれば、心は幻想、あるいは錯覚です。心は本当はありません。しかし私たちはあるように感じています。愛や妬み、がんばるぞ、という気持ちも、あるようでいて、本当は無いのです。

 

 

「人間がエピソードを実感するのは、自分の経験を覚えるためなのではないか、経験によって何かを作り出しているのではないか」というのが私の「受動意識仮説」です。無意識のほうが先にあり、意識はその結果をあとで受け取っているにすぎない。言い換えれば幻想みたいなものではないか、と思っているのです。

いわば逃げ水のようなものです。遠くのほうに、ありありと水が見える、しかし近づいてみると無い。心は本当にあるように見えるけど、科学で近づいてみると決して見つからないのです。

ないけど、あるように見えるのが心です。だからあまり心にとらわれすぎないことです。こころに思い浮かんだら素直にそれをやればいいし、悩みがでてきたら「ああ悩んでいるな」と思えばいい。あまり深く思い悩まないほうがいいのではないかと思っています。

しかし、人々の受け取り方はさまざま。私が「脳はなぜ心を作ったのか」を出版したあと、読者から三つの反応がありました。一つ目は「そんなの間違いである。リベットや前野の研究のやりかたが悪い。やはり自由意志が最初にあるはずだ」という意見。二つ目は「そんな気持ちの悪いことを言うな。心がないなんて絶望じゃないか。ニヒリズムだ、なんというマッドサイエンティストなんだ」という意見、三つめは私と同じで「気が楽になりました。どんなことでも気にしないで、気楽に生きていけばいいとわかりました」という意見。この三通りに、ちょうど三分の一ずつ分れたのです。

 

 

この文章を読むと前野先生に前著も読みたくなりますね

 

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

 

 

 

私も「心や自我なんか最初から無い」と言われたら、そっちのほうが気が楽になりますね。

 

だって、もともと無いのですから、本当は問題にもならない

 

下手に暇だと、人間ロクなこと考えないです。

勝手に心を散らかすんでしょうね。

 

科学者が明かす心の話はとても面白いです。

 

なぜ、前野先生が「心は無い」という結論に至ったのか

詳しくは先生の本をお読み下さい。

 

お幸せでありますように