「南方上座部 仏教儀式集」に沙弥が比丘出家になるための受具足戒の作法について書いてあります。
「今日から、私は比丘出家になります」と宣言してもなれません。
その前に「サンガ」もありますし。
サンガを無視しての儀式作法はあり得ません。
お釈迦様はおっしゃってます
「比丘たちよ、和尚のない者は、具足戒が授けられるべきではない、(和尚がないのに)具足戒を授ける比丘は悪作罪になる」
和尚を得る作法から始まります。
まずは和尚(指導者)を諸い求めさせるべきである、とあります。
教戒師が「あなたは和尚を得なさい」と言い。
比丘になりたい沙弥は、和尚の前で跪座して
「尊師よ私の和尚になってください」と三度唱えるべきである、とあります。
次が和尚を与える作法で、
和尚は
「清らかな行い、言葉、心をもって努めなさい」
と和尚の許可を与えます。
仏教を学ぶにも、瞑想するにも、お経を覚えるにも、一人ではできません、指導者が必要です、出家比丘になるためには、まずは指導者が必要です。
きわめて当たり前のことです。
一人で勝手に学ぶ、というのは仏教ではあり得ません。
で、思ったのですが、在家の場合、指導者はどう求めればいいでしょうか?
自分の好きなお坊様になるんでしょうけど・・。
好きなお坊様でいいのではないでしょうか。
わからないことがあったら、自分で調べることも大事ですが、自分が師と仰ぐお坊様に尋ねることも、とても大切だと思います。
一人よがりにならず、きちんと正しい方向に導いてもらい、師弟が一生懸命修行に励む、というのもいいもんですね。
この儀式作法は「実践」と「教義」のギャップがうまく埋まっていると思いました。
ちなみに、私の師匠はスマナサーラ長老です、気軽に質問できないところが残念ですが。
でも長老から
「清らかな行い、言葉、心をもって努めなさい」と言われたら
たまらなく嬉しいだろうな・・と思います。
生きとし生けるものが幸せでありますように。