飲酒することをやめてけっこう経ちました。
飲酒することで得るものがあり、捨てるものがある。
飲酒をやめることで、得るものがあり、捨てるものがある。
私は後者をとりました、とても大きな利益を得ました。
利益といっても地位財ではなく、地位財以外のものを得ました。
在家には守るべき五戒があり、飲酒はやめたほうがいいよ、言ってます。
在家は五戒を守ろうとしますが、不飲酒戒を破っても、とくにペナルティはありません、罰はありません、罰を下す人がいませんから、罪にもなりません、罪だと認める人がいませんから・・・。
ただ、飲酒という行為で、なした業は消え去ることなく、いつか果をもたらす、ということです、ここが怖いところです。
話は変わりますが、比丘が飲酒をしたらどうなるか?
タイ国にテーラワーダの戒律の本では
飲酒は、パーチッティヤという罪になり、違反した比丘が、サンガに、あるいは、三、二、一人の比丘に告罪(懺悔)することで、浄化される罪。
罪は消滅するけど、なした業は消え去ることなく存在し続けます。
因果法則の通り、なした業は消え去ることなく、その果をもたらすことになります。
戒律と飲酒で、とてもいい話がありました。
チエリ様、いつもありがとうございます。
thierrybuddhist.hatenablog.com
戒律は理性で行う。
理性に酒はいらないなあ。
酒に頼らずとも理性があると楽しく過ごせますよ。
生きとし生けるものが幸せでありますように