どこから読んでもいい本です。
パッと開いて、行き当たりばったりでもOK
122ページ Chpater10
互いに慈悲喜捨の気持ちで接しあえますように
詳しくは本をお読み下さい。
生命に対してはどう接すればいいでしょうか?という問いに、俗世間では、「味方には優しく、敵に攻撃、他には無関心」。
動物と同じか、それ以下かも。
それは正しい答えではない、と説きます。
引用です
慈悲喜捨は生命の本能ではありません。遺伝子に記憶されているプログラムでもありません。生命の次元を超えて成長するために必要な接し方なのです。すべての生命にまず同じ仲間であるという友情の気持ちを抱く。それが慈(メッター)です。苦しんでいる、悩んでいる生命に対して幸福になってほしい、苦しみがなくなってほしいという優しい気持ちを抱く。それが悲(カルナー)です。幸福で明るく生きる生命に対して、よかったなぁ、ありがたいなぁという共感する気持ちを抱く。それが喜(ムディター)です。一切の生命は形はなんであろうとも平等であると理解して落ち着いた気分になる。一切の生命の尊厳を厳しく守る。それが捨(ウペッカー)です。
スリランカの人とお話ししてて、スリランカは日本より裕福な国ではありませんが、みんなけっこう助け合って生きてます、とのこと。
先日、市議さんがお子さんを連れてきたニュースがありましたが、スリランカでは、近所で子どもを預かったり、職場に連れてきたり、あまり、自分の子ども、他人の子どもという区別がないみたいです、ですから、待機児童問題はありません。
交通事故が起きると、よってたかって、助け合って、片づけて、警察が来る前に元通りにしちゃって、警察も捜査に困るくらいです。
困った人を見かけると、皆がよってたかって、解決してくれます、ですから、孤独死も日本に比べて少ないんじゃないでしょうか?
南方の国なので、ちょっと食べ物があれば生きていけます。
ちょっと助け合えばなんとかなります。
スリランカの人は日本のことを「カネ、カネ、カネ、カネの国ね」と評します。お金がなければ生きていけない、他人のことは無関心、困っていても無関心、富んだ国ですけどなぜか孤独死があります。
どちらが幸せか、わかりませんが、ただ皆が慈悲喜捨を持って過ごせば、明るく楽しそうな社会になりそうです。
お互い害し合うより助け合ったほうがいいに決まってます、助け合うことで慈悲喜捨の気持ちを少しでも成長させたいです。