この1年くらい、戒を守らないお坊様や、お寺をめぐる檀家さんの不和の話が出てて、なんだか仏教的でない状況があったのですが、下記に答えがありました。
富士スガタ精舎のスダンマ長老の文章に感銘を受けました、答えがありました。
富士スガタ精舎
「教え、法とは」
「他人が戒律を守っているかどうかは関係ない」
とてもわかりやすかったです、
引用です
他の人がやったこと、やらなかったことを探すのではなくて、自分が何をやったかやらなかったかということを見て下さい、ということです。だから他の人が戒律を守っているか守っていないか、関係ないんですね、私たちには。自分で戒律を守って、自分で正しい生活をすれば良いんです。
戒律を守らない人であっても、その人に能力があって正しいことを教えてくれるんだったら、それを聴いて下さい。そうじゃないと勉強することが出来ません。
とっとと、自分自身戒律を守って勉強してください、他人がどうのこうのは関係ないです、守らない人であっても、正しいことを教えてくれるなら、それを聞いて勉強です。
戒を破るお坊さまは、その結果は自分が得ることになります、在家は関係ないです、でもそのお坊様を見て、あれやこれや悪口を言ったりすると、その不善の行為の結果は自分が得ることになります、わざわざ、不善の結果を得ることもないなあ。
あと、困っているスリランカの方をお寺に泊める話です。
反対する方もいるみたいですが、
大事であるということがわかったんですね。これからはそういうようにする予定、つもりでいます。日本に来て住むところがなくて、ここに来て泊まったりする人たちがいますね。ああいう人たちには、場所はありますからどうぞ泊まって下さい、食べ物もあげる。そうやっていろいろやってあげます。その人たちに仕事が見つかってどこかに行った後お寺に来るか来ないか、お布施をするかしないかということは、それはその人たちの性格なんです。それは、やったら素晴らしいことなんですけど、やらなくたって、それはその人たちのせいですので、私たちはこっちで怒る必要はないんですね。出来る時には来て色々やると思うし、やらなくたって、ま、やってもらいたいという気持ちでやったわけじゃないんですから。
それにも反対する人たちがいます。
お釈迦様の教えにのっとって、やるべきことをやる、ということです、困っている人はできる範囲で助ける。ただそれだけ。
お釈迦様の教えはシンプルで合理的です、お坊様や他人が戒を守らなくても、正しいことを知っているなら教えてもらい勉強しなさい、困ってる人がいるなら助けてあげなさい。
俗世間の人間が、あれやこれや考えて物事をややこしくしているのでしょう。
私もその一人でした。
ここに答えがありました、スダンマ長老ありがとうございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように