ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

良寛さま(8) 良寛さまの手紙

引用です

 

良寛さまの手紙

 

良寛さまは日本に昔から幾人もないほど字を書くに上手な人でした。良寛さまの字は額や掛ものに書いてあるものでも、ほんのちょっとした手紙に書いてあるものでも、みんな立派です。大いそぎで書かなければならない手紙を書くときでも、良寛さまは決してそまつな字は書きませんでした。良寛さまの字にあわてて書いたり、いいかげんに書いたりした字は一字もありません。そこが良寛さまの字の特別すぐれたところです。

ある日のことでした。良寛さまは道で一人のみすぼらしい身なりをした旅人に出会いました。旅人は良寛さまの前でていねいにおじぎをしてからたずねました。

「この近くに宿屋のある村はないでしょうか。実は私は今日、与板の町まで行って泊まるつもりでしたが、どうも体のぐあいが悪いのでこの上歩くのが苦しいものですから、近くに泊めてもらうところがあったら休みたいと思いますので・・・」

それを聞くと良寛さまはたいそう気の毒になりました。そしてしばらくそのひとの様子を見ながら考えていましたが、やがて腰から矢立をぬきとり、ふところから紙を取り出して、道ばたにしゃがみながら、その紙に次のようなことを書きました。

 

このもの一夜おとめ下されたく候

              良寛

 

それは実にりっぱな字でした。額や掛け物にしてもいいほどりっぱな字でした。

良寛さまはそれを旅人に渡していいました。

「そんならこの手紙を持って行って近いところに泊めてもらいなされ。」

旅人はたいそう喜びましたが、その手紙をつくづく見てから、

「まことにありがとうございますが、このお手紙には宛名が書いてございません。これはどうしたもでしょう。」とおそるおそる言いました。

それを聞くと良寛さまは笑いました。そして言いました。

「アハハハハ、いやいかにもその通りじゃ。だがの、宛名が無いからかえって都合がよいのさ。宛名があると一軒だけしか行けないが、宛名がないからどこへでも行ける。わしの名前が書いてあるで、たぶんどこでも泊めてくれるとは思うが、それでももしある家に行ってことわれでもすると気の毒だで、わざとそうしといたのじゃ。甲の家でいけなかったら乙の家へ、乙が行けなかったら丙へ・・・どこでもかまわぬから。きもちよく泊めてくれる家が見つかるまで、それを見せて歩きなされ。よいかの。」

旅人は「なるほど」と思いました。そして涙を流して喜びました。

「ありがとうございます。おかげさまで助かりました。ありがとうございます。」

旅人は幾度も幾度も頭を下げて御礼をいいました。良寛さまは

「いや、そんなにていねいにお礼をいうほどのことじゃない。さ、気をつけて生きなされ。そしてすぐあそこに見えるあの村でまずたずねてみなされ。せいぜいからだを大事にしなされや。さようなら」

こう親切に言いきかせて、そのままさっさと行ってしまいました。旅人はしばらくそこに立って良寛さまの後ろ姿を拝んでいました。

良寛さまのその手紙は百年後の今日まで残っています。そしてある家の宝として立派な掛け物になっています。半紙一枚のまん中におちついた。情味のこもった、りっぱな字で書いてあるその手紙は、見るからに気持ちのいいものです。

 

書に疎いので良寛さまの書の良さがわかりません、でも、最近、字は丁寧に書くべきだと思うし、困った人には親切に、と思います。

 

おおらかな良寛さまですが、字を書くときは真剣だったみたいですね。

 

書というと、「飾って人に見せる字」とい印象がありますが、良寛さまの書は実用的に人の役に立って、困った人を救って、かといって立派な字なので・・、最後は家の宝ということで掛物になったのですね。

 

人格が成せるものです。

なにも言うことありません。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように