ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

年をとったお坊様

年をとったお坊様の話はなかなかないのですが、魚川先生の翻訳で見つけました。

 

myanmarbuddhism.info

 

ミャンマーの長老、ウ・ジョーティカ師の著作の訳文です、PDFで公開されています。

無料で読むことができます、魚川先生ありがとうございます。

 

その中の『ネガティブなことへの対処法』から引用します。

 

 

 

私の先生方は、ほとんどがとても長生きです。ある先生は、百四歳まで生きましたね。

彼の本を一冊ここに持って来ましたから、百歳の時の彼の写真をご覧になれます。とても落ち着いていて安らかですね。実に平静です。最期の日まで、彼はとても落ち着いて安らかでした。亡くなる前に、自身の葬式のことを計画していたんですよ。

もう一人の先生は、九十歳まで生きました。身体のほとんどが細くなり、褐色になって、年老いていた。でも、それがすごく美しいのです。近づいていって、話をしたくなるのですね。この九十歳の先生は、時に忘れっぽくなることがありました。

彼はとても細くて小さな人で、時に私は、彼を抱えて運ぶこともありましたね。先生は、朝食を食べ、そして昼食をとった後、それから時には、昼寝をしていたものでした。

そうして目を覚ますと、彼は翌日になったと思ってしまい、「朝ごはんを誰も持って来ないんだが?」と言うのです。それで周りにいる弟子の僧侶たちは、「ええ、ええ、持って来ますとも。はい、しばらくお待ちください」と答える。少し経つと、「わしは朝ごはんを食べていないのじゃないか?」と彼はまた言いますので、弟子たちは、「さあ、サトゥーマドゥ(1)を食べましょう」と言うのです。サトゥーマドゥというのは、蜂
蜜とバターと油、それにサトウキビの汁(糖液)を混ぜたもの。食べ物を差し上げると先生はそれを食べ、ジュースを差し上げると、彼はそれも飲んでいたものです。

それから彼はまた眠りにつき、目を覚ますと、「昨日は誰もわしに食べ物を持って来なかった。サトゥーマドゥを少し食べただけだ」と言います。しかし、腹を立ててはいない。不平を言っているわけではないのです。彼はただ、自分の思ったことや感じたことを述べているだけ。「誰もわしに食べ物を持って来なかった。ただサトゥーマドゥを少しと、ジュースを一杯飲んだだけだよ」。彼はいつでも、とても機嫌のよい人でした。


時に私は、先生の傍に座って話をし、彼のために用を足したりしたものです。それで三十分も経ちますと、「お前はジョーティカか?」と彼は尋ねる。彼には、話し相手が誰だかわからないことがあったのです。それでも、彼はとても落ち着いていて安らかだった。

先生は記憶を、たくさんの記憶を失っていました。しかしそれでも、彼は自分の落ち着きや安らぎ、寛容や受容的な態度といった、全ての徳性を保っていた。私たちは本当に、彼のことを愛していました。

先生が亡くなった時、彼は全く苦しむことはありませんでした。ある朝、朝食をとった後に先生は、「お腹と腰が張っているので、寝ることにするよ」と言われた。それで若い僧侶が彼を寝かせ、彼は眠って、そのまま亡くなったのです。病むことは、全くありませんでした。

 

(1) catumadhura、四甘。「サトゥーマドゥ」はビルマ語。薬として扱われており、僧侶でも午後に食べてよいものとされている。

 

 

かわいい師匠さんです、お弟子さんたちも優しく気をつかって接しています。

 

師匠のたくさんの記憶はなくなってしまいましたが、心の根っこがとてもきれいで、落ち着いて、穏やかで、それを慕うお弟子さんたちもいいですね、師匠と話をしていてもとても楽しいのでしょう。

 

知識も行いも人格もすぐれたお坊様、かなり高いレベルにいるお坊様って、変な話、かわいいんですよ。

 

認知症になると、知識等は捨てることになりますが、心までは捨てることがないので、その残った心がかわいいんですよね。

 

仏教の姿ですね。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。