慢はいつも心の周りをうろついている煩悩です。
いつも、当たり前のように出てきます。
阿羅漢にならないと消えないらしいので、かなりしつこく心にこびりついている煩悩なんでしょうね。
高慢、卑下慢、同等慢の3つがあります。
高慢は、人と比べて自分が偉いと思うこと。
卑下慢は、人と比べて自分は劣っていると思うこと。
以上の2つは、わかりやすい心です、人から「お前は高慢だ」と指摘されやすい心でもありますね。
卑下慢は、自分でも自覚できそうです。
同等慢はわかりにくいです。
「人と比較して同じだ」という意味になるのでしょう。
「平等」という意味にもとれそうです。
なぜ悪いのでしょうか?
昨年12月23日、スマナサーラ長老初期仏教講演会「過去からの解放」より引用
同等慢はなぜ悪い
自我が良くないということです
瞬間瞬間、人格が変わるのに、誰と比較するんですかね?
比較して「同じだ」という同等慢を作る暇がないんです
卑下慢も高慢も成り立たないように、同等慢も相当な勘違いです。
変わらない自分がいるという錯覚から同等慢が生まれるんです
真理に背くことですから同等慢も悪いということです。
自我は無いという真理、これに背くのですね。
「自我」という観点からみると、高慢、卑下慢、同等慢、すべてが悪いということ。
本当は生きることに忙しいのに、わざわざ人と比較して、わざわざ同等慢を作り、いろんな悪い原因を作っていく。
暇なんでしょ。
悪い意味の暇でも、慢の原因になるかもしれない。
貪瞋のような、はっきりし心でもでなく、微妙な感じ。
やはりタチが悪いです。
冥想等で気づく心なんでしょうね。