2017年12月17日、関西月例冥想会の質疑応答より。
質問
慢についてですけど、高慢と同等慢と卑下慢があって、高慢と卑下慢はなんとなくあかんとわかるんですけど、同等慢がなんであかんのか教えていただければと思います。
長老
そうね、それは、平等と勘違いする可能性がありますね。
これは、私もあなたも同じでしょうと、いばることなんですね。
お互いいばりあうこと。
現実にはよくあることだからね、どう説明していいか、アイデアが出てこないんだけどね。
(ずっと考えてます・・)
子供が兄弟げんかするとき、同等慢が働いてますね。
自分の親をひとりじめしようとするんですね、競争するんです。
すると母親がね、お前たちふたりとも同じです、誰が特別にかわいいということはないんです、と言われる。
すごく気持ちがわるくなるんです。
いえ、私のほうが一番かわいい、と言ってほしかったのに、という気持ちがあるんです。
このときの心の葛藤が同等慢から出てくるものなのです。
日常茶飯事にあることなんです。
例えば、会社で一緒に仕事している二人のうち、一人が昇格した、自分は入らなかった、そのとき腹が立つんですね。
「なぜその人を選んで私を選ばなかった?」と思ったとき同等慢から出るもんですね。
そんな感じのものなんですね。
例えば、上司がいろいろ仕事を頼むとき、3~4人のうち、1~2人に仕事を頼んで、信頼されちゃったりして、自分は無視されているみたいで、特別かわいがっているんですね。
そこで、いろいろ腹が立って、お互いケンカして、心の中で悩み葛藤が生まれる。
それは同等慢から現れてくることなんですね。
そんな程度のことなんです。
けっこうあることなんです。
慢からけっこう悩み、苦しみ、怒り、憎しみ、恨みなど出てくるのですから、その原因になってるんです。
「同じなのに、なんで」ということになってるんです。
きついと思いますよ、これはなかなか大変なことです。
高慢、卑下慢はわかりやすくて、両方病気扱いされてますけど、同等慢は病気扱いされていませんから、なかなか大変なおりにくい状態なんです。
それを正当化しようとするんですね。
自分の高慢が、人から「それは高慢でしょ」と言われると、正当化しようとはしないんです。
「あなた、それは卑下慢でしょ」と言われると、そうね、これはないほうがいいね、という気持ちになるんです。
でも、同等慢はそうはならなくて、「お互いさま」で仕事するんです。
本当は一番タチの悪い慢なんです。
なおりにくいし。
だから、日常生活の中でそういうケースは気づいてください。
それ以上の説明はちょっと難しい。
よくある感情なんだけど、でも微妙な感情だから、困難さが、感じられます。
そのあと、東京での23日の講演会で
「変わらない自分がいるという錯覚から同等慢が生まれるんです、真理に背くことだから」とバッサリです。
お話では、高慢、卑下慢よりタチが悪いと言ってますが、自我の錯覚という意味では、どれも同じです。
慢は、掉挙と同じく、最後までしつこく残る煩悩です。
しつこくまとわりつく、こういった微妙な感情こそ、気をつけなければ、です。
生きとし生けるものが幸せでありますように。