ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

良寛さん 戒禁取とは無縁かも・・。

浄聖院様から。良寛さまの本を借りてきました。

そのうちの一冊

 

良寛さん (現代教養文庫)

良寛さん (現代教養文庫)

 

 

その中から引用します。

 

人を拝む

良寛さんが托鉢に出ると、あちらこちらの家からお経をあげることを頼まれました。宗旨や宗派にこだわらない良寛さんは、浄土宗の家では阿弥陀経を、日蓮宗の家では法華経をあげたのです。

なかでも、浄土宗の作平さんの家では、良寛さんがかど先を通るたびにお経をあげてもらいました。良寛さんも、信心深いこの家の人たちが気に入っていたのでしょう、どんんなに急いでいるときでも、快く承知してお経をあげてやりました。

ところがある日のことでした。いつものように、良寛さんが座敷へ通って仏壇の前に座ろうとしますと木魚がありません。

不思議に思った良寛さんは、部屋の中を見回しますと、仏壇とは反対の仕切戸のすみに置いてあるのです、それはこの家のこどもたちがいたずらをして、置きっぱなしにしたものでした。

良寛さんは、さっそくその前に座って、木魚をたたきながらお念仏を始めました。

仕事着のほこりを払ってから座敷へあがってきた作平夫婦は、この有様を見てあきれました。

(なんとまあ、そそっかしい良寛さまだろう!)

良寛さんの後に座った二人は、互いに顔を見合わせながら、笑いたくなるのをこらえて合掌していました。

「はい、さようなら」

お経が済むと、良寛さんはさっさと帰っていきました。

「あっはっは、面白い良寛さまじゃ!」

作平夫婦は、改めて笑いなおしました。

それから数日後、向こうからやってくる良寛さんの姿を見つけた作平は、急いで家の中に入って、木魚を座敷の縁側に置いてから、何食わぬ顔でいつものようにお経を願いました。良寛さんは相変わらず上機嫌で、縁側の木魚の前でお経をあげて帰っていきました。

いよいよおかしくなった作平は、次のときには玄関に上り口に木魚を置きました。すると良寛さんは、やはりその場所でお経をあげたのです。この有様を見た作平夫婦はすっかり驚いてしまいました。そしてお経が済むと、作平は面白半分にたずねました。

良寛さま、あなたさまは、どこでお経をあげているかご存知ですか?」

「ああ、わかっているとも、ここは玄関の間じゃ」

良寛さんはにこにこしながら答えました。

そそっかしい良寛さまだとばかり思っていた二人はかえって面喰いました。

「まあ、あきれた。良寛さまは、ここが表の間だということを知っていらっしゃるのに、どうして、この木魚を仏壇の前に持っていけとおっしゃってくださらなかったです?」

作平の妻が不審そうに問い返しました。これを聞いた良寛さんは、温かい眼差しで二人の顔を見つめながら答えました。

「仏様というのは、仏壇のなかだけにいらっしゃるのじゃない、仏間の隅にも、縁側にも、この表の間にも、どんなところにもいらっしゃるのじゃ、お前さんらが、この間から、木魚をあちらこちらに置いているのを見て、感心なことじゃと、わしは思っているのじゃよ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

良寛さんは二人に向かって合掌しました。

「ああ、もったいないおよしくださいませ」

夫婦は身体を乗り出すようにして制止するのをかまわずに、良寛さんは穏やかな口調で言葉を続けました。

「ほんとうのみほとけさま、お前さまがたの、その心のなかにいらっしゃるのじゃ、お釈迦様も、三世の諸仏に仏性なく、一切の衆生にこそ仏性があるのじゃ、と教えてくださっているのでのう、わしはお前さまの仏心に拝むまでじゃ、もったいないのはわしの方じゃよ。そしてまた、お経というのも亡くなった人にあげるものではなくて、生きているお互いが聞くものじゃ。十万億土の彼方にいらっしゃる亡者に、どんな大声でお経をあげても聞こえるものではないのじゃからのう。生きているわしらが、そのありがたいお経の教えをよく聞き分けて、お互いの仏こころを目覚めさせなければならないのじゃ、どうか自分の心の奥にある御仏さまを大切にしてくだされや、はい、さようなら」

良寛さんは、さっさと帰っていきました。おっかけるようにして門先まで見送った作平夫婦は、良寛さんの後ろ姿が見えなくなるまで、合掌していました。

 

誰もが仏性がある、というのは大乗ではよく聞きます、理屈っぽくてすみませんが、正しくないです、でも、誰もが悟れる、という言い方の、良寛さまのめいっぱい優しい言い方なのでしょう。

 

チエリさんのブログから、肝心なときにいつも助けていただきありがとうございます。

thierrybuddhist.hatenablog.com

 

 

 

この引用で、私が良寛さま、最高! と思ったのは、宗派を問わずどんなお経でもあげてあげたとのこと。

 

良寛さまは曹洞宗の僧侶です。

 

でも、宗派の違いなんて、どうでもよかったんでしょうね。

同じ仏教です、私もどうでもいいです。

 

あと、仏壇ではなく、木魚のあるところでお経をあげる。

儀式、しきたりなんて、どうでもよかったんでしょうね。

ほんと、どうでもいいです。

 

それにしても、ほんとうに、戒律の厳しい曹洞宗のお坊様なのでしょうか?

 

あと、お経の本質をずばり言ってます。

生きてるひとたちのためにあります。

 

けっこう、物事の本質を突いてます。

良寛様は戒禁取から解放されていたのでしょう、思わず想像します。

 

脚色された物語ですけど、それにしてもたくさんのことがわかります。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。