下記の本から引用です。
中身がある人は威張らない
稲は豊作になると、曲がって曲がって地面のほうに垂れてきます。対して、カラの稲はまっすぐ伸びていきます。稲穂がしっかり成長していっぱい中身が入っている稲は、美しく曲がって地面を見ます。下を見るのです。
人間も同じで、人格がそなわって中身があると威張りません。威張るということは中身がないということです。
仕事柄、人に会うことが多いです。
不思議なもので、その道の権威とか、仕事でも究めたところまでやっている人とか、学問でも仕事でも、すごい人というのは、謙虚です。落ち着いてます、威張ってません、気さくです、ユーモアが好きな方もいます。
「たとえば〇〇の権威」という方にお会いする機会がある場合、「すごい方なんだろうな、なんて話しかけようかな・・・」と心配になりますが、いざ、おしゃべりしてみると、拍子抜けするくらい、気さくで楽しかったりします。
また、アインシュタインのことを知らないで、近所の少女が数学を教わっていた話は有名ですよね。
ウイッキより
- ノーベル賞受賞後、ニューヨークである少女に数学を教えていたことがあった。少女の母親が、娘の家庭教師がアインシュタインと知って、慌てて彼の元を訪れたが、そのとき彼は「私が彼女に教える以上のことを、私は彼女から教わっているのだから、礼には及びません」と返答した。
なぜなんでしょう?
面白いもので、学問でも仕事でも中途半端な人って、威張ってます、気さくじゃないんです謙虚でもないです。
勝手な想像ですが、中途半端な人格、人間性だと、やることなすこと中途半端なんでしょうね。
結局、人間性、人格に尽きる、という話です。
当たり前のことですが、分けへだて無く人に接する。ということです。
お釈迦さまも、出家には、厳しく、とてつもなく難しい話をしましたが、一般庶民の在家の話を聞いてあげたり、やさしく、わかりやすく、質問に答えたり。
当たり前のことを、当たり前にやるということなんでしょうね。
生きとし生けるものが幸せでありますように。