ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

生きることは大変だが、死はいとも簡単に訪れる事実である。

下記の本から引用です

 

 

生きることは大変だが、死はいとも簡単に訪れる

 

生命はちょっとしたことで死んでしまう。だから死を避けるために大変です。

 

なぜ私たちは呼吸をするのか?

答え・・・・・呼吸を止めるとすぐに死んでしまうから。

 

なぜ私たちは食べるのか?

答え・・・・・食べないと飢えて死んでしまうから。

 

なぜ私たちは勉強するのか?

答え・・・・・勉強すれば知識が身について、仕事に就ける、社会の中で生活できる。死なずに済むから。

 

なぜ私たちは結婚して子どもを作るのか?

答え・・・・・子どもがいれば、「親なんだからしっかりしなくちゃ。死んではいけない」と頑張れるから。

 

結局、私たちの人生そのものが、何とかして死を一日でも延期しよう、という努力の積み重ねなのです。しかし、その努力は決して報われず、必ず失敗します。

 

「人は誰であろうとも必ず死ぬ。死は歳を選ばない。生きることは大変だが、死はいとも簡単に訪れる事実である」

 

ブッダの言葉はそのまま、冥想(死随念)の文句です。事実を認めることで、私たちは智慧の土台となる落ち着きを得るのです。

 

 

今朝、知り合いのお母さまが亡くなりました、お歳は80歳台くらいでしょうか。

病気はしてなく、ずっと元気、でもなんの兆候もなく突然やってくるんです。

 

厳然たる事実で、ぐうの音も出ません。

 

これって、自分の身に置き換えるいい機会でもありますね。

 

 

 

 

でも、人間は必ず死ぬ、という事実を認めなければどうなるんでしょうか?

 

たぶん、死んでも大丈夫、天国や極楽があり、永遠がありますよ、死を認めない、怖がる人間を相手にする、よくある宗教のカモにされそうですね。

 

 

私自身は、「死は怖いでしょ?、でも死んだあとでもいい世界はあるよ」信者を増やすためにアホなこと言ってる、よくある宗教のカモにされないために、観察を続けたいですね。

 

 

下記の本が死随念に詳しいです、ご興味のある方はどうぞ。

 

 

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。