ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

自分で調べるということ。

新聞を読んでたら気になる本の紹介がありました。

 

 

アウシュヴィッツの図書係』

 

アウシュヴィッツの図書係

アウシュヴィッツの図書係

 

 

本の紹介はアマゾンを見てもらうことにして、気になる部分を引用します。

 

教師が二人、追い詰められた表情で顔を上げる。彼らはその手に、アウシュヴィッツで固く禁じられているものを持っていて、見つかれば処刑されてもおかしくない。

それは銃でも、刃物でも、鈍器でもない。第三帝国の冷酷な看守たちがそこまで恐れているもの、それはただの本だ。表紙がなくなってバラバラになり、ところどころページが欠けている読み古された本。

 人類の歴史において、貴族の特権や神の戒律や軍隊規則をふりかざす独裁者、暴君、抑圧者たちには、アーリア人であれ、黒人や東洋人、アラブ人やスラブ人、あるいはどんな肌の色の、どんなイデオロギーの者であれ、みな共通点がある。誰もが本を徹底的に迫害するのだ。

 本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。

 

本は自由に調べて、自由に考え、自由に表現することができる道具です。

 

本のほかにも、大事な道具があります。

紙とペンです。

 

こういった映画も見つけました。

ヒトラーへの285枚の葉書 - Wikipedia

 

実話を基にしてます、平凡な夫婦が、ペンと紙だけで、戦争で息子を失った悲しみを、この理不尽さを訴えます。

このことの何が悪いんでしょうか?

 

 

いつも、不安に脅える圧政者は、人間にとって大切な道具を取り上げようとするのですね。

 

こういったのもありました。

ナチス・ドイツの焚書 - Wikipedia

 

 

圧政者は何に脅えてるんですかね。

 

 

話は変わりますげ、宗教の世界でも、似たようなことがあります、自由に考えることを禁じ、迫害するのですね。そのニュースは尽きることがありません。

 

で、お釈迦様はどう教えていたかというと

仏教講義 25.自ら試し、確かめる (4)悟りを開いた人たち(2)

 

引用です

 

そこで、お釈迦さまは次のように説かれました。「カーラーマたち、あなたがたの態度は見事です。疑うのは当たり前です。不確かな話を疑うのは当然のことです。人の話を受け入れるとき、

  • 耳で聞いたこと(神の声など)に頼ってはなら ない。
  • 世代から世代へと言い伝えられたものに頼って はならない。
  • 伝統や伝説、風説に頼ってはならない。
  • 聖典や古典に頼ってはならない。
  • 論理(思弁)に頼ってはならない。
  • 理屈や理論に頼ってはならない。
  • 人間がもともと持っている見解に頼ってはなら ない。(たとえば日本人なら日本独自の考え方 や論理の組み立て方など)
  • 自分の意見や見解と同じということに頼っては ならない。
  • 説く人の立派な姿かたちに頼ってはならない。
  • 説く人の肩書きに頼ってはならない。

 続けてお釈迦さまは説かれました。「何が善いのか、何が悪いのかを自分で考えてください。ある人の話が不善であり、賢者に非難されるものであり、苦しみをもたらす教えなら、その教えから離れてください。善であり、賢者から非難されるものではなく、幸福に導く教えであるなら、その教えを受け入れてください」。
 このお釈迦さまの理性的な説法が終わると、村人たちはお釈迦さまに帰依し、仏教徒になりました。

 

 

押しつけではなく、徹底的に自分で調べることを勧めてます。

 

どうぞ、自分で調べて、考えて、結論を出してください。の世界です。

 

圧政者って、人権を基にする人間に備わったこういった当たり前のことを、どうして嫌うんでしょうね?

 

どうしようもないおバカさんなのでしょう、付き合うことないです。

 

 

日本という恵まれた乗り物にいるみなさんは、どうぞ、道具を駆使して、調べて、考えて、表現して、楽しんでください。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。