日記は小さいころ書いた覚えがありますが、続かなかったです。
日記は書きませんが、メモはとります。
忘れっぽくなったので、メモ帳を離さずに持っています。
仕事柄、人に会うことが多いので、忘れては困ることをメモします。
私の親父は毎日健康記録を書いてます。
食べたもの、天気、体調、出来事など。
これは日記というより記録です。
日記って、個人のものだから何を書いてもいいのでしょうが、気になるところを見つけました。
天野和公さんの本
「ミャンマーで尼になりました」
天野さんは毎日びっしり日記をつけていて。
ある日、師匠のウ・コーサッラ師に「もしかして日記とかをつけていませんか?日記は意味ないですよ」とバッサリです。
ウ・コーサッラ長老は、ミャンマーでお坊様だったころの西澤先生です。
日記は、毎日の記録というか、記録だけでなく、そのときの気持ちを綴ったりなど、さまざまなことを書いたりします。
ただ、ここは「仏教」に関することを書いてます、ブッダラボさんに日記に関する記述があります。
ブッダラボさんは、本当にタイムリーに私の疑問に答えてくれます。
ありがとうございます。
thierrybuddhist.hatenablog.com
書いてあった本は忘れてしまいましたが、自分の行った「善行」を記録している日記の話がありました。
これっていいですよね、読み返しても楽しい!
心にいいですよね。
落ち込んでいるとき、読み返してもいい。
日記に自分の感情を綴る場合もあるかもしれませんが、貪瞋痴に塗れた内容はまずいかも。
「今日はイヤなことがあった、やなことされた、気分が悪くなった、あいつが悪い、こいつは嫌い」とか。
「あれも欲しい、これも欲しい、でも手に入らなかった、でも欲しい」とか。
欲や瞋りの内容はね・・・・。
読んでて嫌な感情を思い起こし、心に悪そうです、そういった日記はいらないなあ。
ウ・コーサッラ長老も、そういった意味で言ったのかもしれません。
仏教は心を問題にしますので、どうせやるなら心によいことを、です。
また、日記は文章の練習になります、文章を書くって、かなり歳をとっても大事なスキルです、心に善いことを書いて、文章のスキルを磨けるなら良いのではないでしょうか。
生きとし生けるものが幸せでありますように。