昨年、クルマでヒヤッとした事故を起こしました。
相手のクルマともろにぶつかりそうになりましたが、接触で済みました。
そのとき、はっきりと相手のクルマが見えて、驚く顔がはっきりと見えました。
事故の瞬間とか、危ないときに、その瞬間が止まって見えたり、スローモーションに見えるということがあるようです、よく聞く話です。
これなのかな?と思いました。
これっていったい何なのだろう?と思っていましたが、参考になる話を見つけました。
チエリさま
ありがとうございます。
thierrybuddhist.hatenablog.com
長老の答えは
「そういうときは妄想してふざけてる暇がないからね。」
あっけない回答で終わります。
質問者は、普段、冥想をやっている成果だと言いたそうですが、そうではないそうです。
普段、冥想をしていない人にも起こるかもしれないので、冥想はあまり関係ないみたいです。
結局、存在欲が割り込んできて、妄想をやめてしまうんですね。
それだけ、人間はしょっちゅう妄想していて、かなり強い何かが無いと、妄想をやめないのですね。
私の場合も存在欲が割り込んできて、妄想をやめることで、くっきりと見えるようになったのだと思います。
冥想の成果なんて、まだまだです
ヴィッパサナー冥想の場合は、すべてコマ送りのように見えるのですね、まだまだそこの段階まで行ったことはありませんが・・・。
普通、こういったことは不思議な話になりますが、仏教では不思議な話としては扱いません。
あと、アビダンマを習っていると、神通の話が出てきます、俗世間では神通は超能力の話なので、みなさん、信じる信じない、珍しがったり、悪人はこれで商売をしようとします。
でも、アビダンマでは神通は不思議な話ではありません。
よく修行しているお坊さまを見てると「ん!?」ということもあります、仲間内で話題にはなったりしますが、騒いだり、大げさに考えたりしません。
仏教の目的は悟ることなので、神通に気を取られてはいけません。
どうでもいいのです。
話を戻しますが、それにしても妄想を停止させることができる存在欲は強力で強烈です、本当にこれを克服することができるのでしょうか?
いずれにしても、妄想が停止した経験でした。
生きとし生けるものが幸せでありますように。