ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

動物のこころ

むかし、家内の実家では、大きな秋田犬がいました。

 

とても大きく優しい犬でしたが。

 

 

雷が鳴ると、プルプル怯えて、すみっこで小さくなり、涙を流して泣くのです。

 

夏、花火の音を聞くと、これもまた怯えて、涙を流して泣くのです。

 

これは、亡くなるまで直りませんでした。

 

 

何か、とてもイヤなことを心に刻んでしまったのでしょうか?

 

人間だったら嫌なことがあっても、理性で、努力で克服する人もいます。

 

心はとても楽しいことをずーっと覚えてたりしてますけど、それよりはるかに、嫌なこと、恨みや憎しみなんかもずーっと覚えてます。

 

嫌なこと、恨み、憎しみは、理性や努力では、なかなか克服できないのかもしれません。

 

長老の新刊では、心についての解説があります、一部引用します。

 

慈悲の瞑想〔フルバージョン〕――人生を開花させる慈しみ

慈悲の瞑想〔フルバージョン〕――人生を開花させる慈しみ

 

 

覚えているべきは優しくされたこと

人にいじめられたことや嫌な思いをさせられたことなどでなく、優しくされたことだけを覚えておけば、人生は本当に楽です。しかし、頭ではわかっていても、私たちの「こころ」はそのようにできていないのです。こころは、私たちを苦しめたり、悩ませたり、いじめたりするシステムで成り立っているのです。私たちを拷問するようなシステムです。ですから、調教、制御、躾ということが不可欠になります。それをしないと、こころはどうにもなりません。

そういうわけで、「慈悲」とは、こころが抱える巨大な、運命的な、決定的な欠点をなくす方法なのです。

「拷問するようなこころのシステム」は動物にもあります。動物たちも、いじめられたり、嫌なことをされたりしたら、ちゃんと覚えているのです。別に、性格が悪いわけではありません。脳の仕組みそうなっているので、さっと嫌なことばかり刻んでしまうのです。そして、動物はいくら頑張ってもこれを直せません。だから犬や猫などが落ち込んでしまうと、明るい状態に戻ってもらうのは大変なのです、動物たちは私たちよりもこころが弱いので、ちょっとしたことで傷ついて、そのまま落ち込んでしまいます、恨み憎しみこそ持たないのですが、ガクッと落ち込むと、怯えて、隠れて、惨めな状態で生きようとするのです。それでも誰かがコミュニケーションしようとして近づいたりすると怯えて噛みつく可能性があります。

 

 

 

恨み憎しみを持たないだけ、人間よりはるかに立派です、かわいいです。

 

 

以前、スリランカのお坊様とホームセンターに買い物に行き、そこにペットショップがあったのですが、お坊さまの表情が真剣になりました。

スリランカでは生き物の売買が禁止です。

 

どんな生き物にも生きる権利があるわけで、それを侵害して、売買してお金を得る行為は、途方もない悪行為ですね。

 

ケージに入れっぱなしの動物を見て、何も思わないんでしょうかね。

 

動物の心を傷つけているし、でも、動物は恨み憎しみは持たない。

恨み憎しみがあったら、ペットショップは成り立たないです、というかペットを飼うことは成り立たないです。

 

 

人間は偉そうにしてるけど、心は動物にかなわない人もいるな、と、よく思います。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。