ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

施しについて(お布施のこと)

 

大乗仏教でもテーラワーダでもいろいろなお坊様がいることがわかってきました。

 

お坊様だからといって、盲目的に信用してはいけないし、ここでも「自分で調べる」という態度が大事です。

 

大乗でも、きちんとしていて、まじめなお坊様もいます、テーラワーダでも戒律を破り、首をかしげるようなお坊様もいます。

 

巻頭法話217より

「与えるという行為」

*大果の施し

 こころを清らかにした聖者たちに行う施しが大果の第一です。他の施しよりは勝る行為です。施しを受ける側のこころの清らかさに応じて、施しの結果も変わるのです。しかし人のこころの中身は読めないものです。それには安全対策があります。施しを受けた方々の生き方を見てみるのです。聖者は施しを受けて、たくさんの人々にこころ清らかにする道を教えるのです。悪行為を止めさせて、善を行わせるのです。解脱へ導くのです。世に仏教の教えがあるから、世の人々に正しく生きる道を理解できるのです。これは人類にとって、最大の貢献です。

 受ける相手を選ぶことより、自分のこころを清らかにすることを目指して施しをするならば、自分の意志によって施しが大果になります。これは誰にでも管理できるところです。相手を探して困らなくても、構わないのです。

 

 

「施しを受けた人々の生き方を見てみる」

これが大事だと思います。

 

仏教にとって「施し」が大切なのはわかりますが、「誰にする?」という問題があります、当然、お坊様にするわけですが、お坊様という名前だけで、信用したりするかもしれません、でも、冷静になって観てみると、戒律違反をしたり、言葉と行動が一致しないお坊様もいました。

 

戒律はお釈迦様が定めたものですから、お坊様が違反した場合は在家からも厳しく指摘してもいいです。

 

私は面倒くさいので指摘はしませんでしたが・・。

 

戒律違反をきっかけに、お坊様を観るようになりました。

 

違反のお坊様は、ダーナ(布施)、ピリット(護教)、ご利益の儀式や話がやたら多く、まるで大乗仏教みたいです、大乗はけっこうご利益に重きを置きます、このご利益重視は、後年、テーラワーダが大乗を真似たとのことです、これは真似しなくてよかったと思います。

 

 

その反対に戒律違反とは無縁のまじめなお坊様もいます。

そのお坊様に、テーラワーダの戒律違反、ご利益重視のお坊様の話をしたことがあります、そういった話は論外ということで、返事さえ返ってきませんでした。道端の石みたいなものです。頭の端にも浮かばない、ということです。

 

というと、どういったお坊様を応援するか、自然と決まってきますね。

 

上記の引用は、「受ける相手を選ぶ」ということをきちんと肯定してます。

 

私も「受ける相手を選ぶ」ということです。

 

人生有限、お金も有限、せっかくの「施し」は大果を目指すべきですね。

 

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。