ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

第8回アビダンマ基礎講座

上越市の浄聖院様のご尽力で、大阪から西澤先生を招いて、第8回アビダンマ基礎講座が行われました。

 

第8回までやりました、浄聖院様のご努力と遠方から来ていただける西澤先生に感謝です。

 

 

ミャンマー風の学問だと、「わからないことも、何度もやっているうちに慣れてくる」

というのがあるそうです。

 

ミャンマーの在家の方々も、教養としてアビダンマを勉強しています、お坊様から、こんなふうに法話を受けているのかもしれません。

 

そして、この基礎講座も、ミャンマー風かもしれません。

 

使われる言葉でつまずいてしますのですが、やっているうちにだんだん慣れてきます、これは回を重ねるしかないですね。

 

今回は「路」について学びました、相変わらず難しかったです、わかってもわからなくても、ひたすらテキストに先生の言ったことを書き込みました。

 

あとで、読んで、なんとかなるかな、といった具合です。

 

 

今回、心に残ったのは、無因、二因、三因の話でした。

 

大異熟心→善行為をした人が転生して、その結果を得る場合の心になります。

異熟心は結果としての心、大異熟心は次の生まれを決める心。

 

大異熟心の因は

 

無因

 

二因

不貪、不瞋

 

三因

不貪、不瞋、不痴

 

この、3つで人間以上に生まれてくるとのことです。

 

で、無因と二因では、今世では悟れないとのことです。

そうですね、条件がそろっていませんからね。

 

「どうせ、俺は二因だから、頑張らなくてもいいんだ、冥想なんかしなくてもいい、好きに生きる、どうせ悟れないから」と思ってしまう危険性があるかもしれません。

 

ただ、自分が無因なのか、二因なのか、三因なのか、すぐにわからないでしょう、すぐに自覚できないでしょう。

 

自分がなんなのかわからないのに、努力を怠るのはまずいです。

 

わかっても、次の生まれで三因を目指せばいいだけの話で、せっかくのいまを無駄にしたらもったいないような気がします。

 

と、書いているうちに三因の話を見つけてしまいました。

西澤先生のお坊様時代の三因の話になります。

arana-vihara.blogspot.jp

 

どうせ俺は二因だからといって放逸にふけるな、それこそ、お釈迦様の教えに背くことになります。

 

勉強の帰り道、日本海がきれいでした。