『ブッダがせんせい』より
手をあらうように
いつも心を
きれいにしておこう
ダンマパダの第二偈を参考にしているのですね。
まずは、中村元先生訳
すべてのものごとは、その人の心によって成り立つ。
いつも清らかな心で話したり行動するならば、
楽しみは喜びは、いつも影がそうように
その人につきしたがうだろう
次は先生訳
ものごとは心にもとづき
心を主とし、こころによってつくりだされる。
清らかな心で話したり行ったりするならば、
福楽はその人につき従う。
影がその体から離れることがないように。
本では
「心をきれいにするほうほう」ということで、心をきれいにすると「心をきれいにしておくことは、とても大事なこと。いつもきれいな心でいれば、楽しいことやうれしいことがたくさんおきる」とか
「子どもには、悪いことや、人の嫌がることをすると、心がどんどん汚れてしまって楽しいことが起こらなくなると教えましょう」とか
「心をきれいにする方法として、悪いことをしないこと、たとえばうそをつかない、人のものをとらない、人や動物をいじめない、らんぼうなことばをつかわない、人のわる口を言わない、たくさんほしがらない」を解説してました。
本当にこの解説でいいのでしょうか?
きれいな心で楽しいことやうれしいことは、因果を無視して、起きたりはしません。
汚れた心でも同様です。
きれいな心でいると、自分が行ったいい結果を自分が受けることがあるよ、汚れた心だと自分で行った悪い結果を自分が受けることになるよ、というぐらいでいいのではないでしょうか?
「わるいことをしない」というこの解説、大人には無理です。
「たとえば」なんて言葉は使わず、お釈迦様が定めた「わるいこと」をのせたほうがいいです。
先生の解説によるとダンマパダ第2偈は「ものごとへの執着」の話だそうです。
執着が強いと、異様に強いと、重たい荷車を引く人生。
家庭でも財産でも地位でも、世俗的なものに執着しすぎると、その結果は良くないでしょうね、自分が受けることになりますね。
でも、執着が少なければ、重たい荷車を引く人生ではなくて、影が体のあとをついてくる軽やかな生き方ができるのです。とありました。
「清らかなこころ」イコール「執着の少ないこころ」
執着の少ない心を実践するに、いい口癖があります。
何があっても
「ん、だから、なに?」とか
欲しい人がいたら
「どうぞ、どうぞ」とか
執着を手放す訓練ができそうです。
今回の「ブッダがせんせい」の解説は「???」でした。
参考にした本
そういえば、以前も書いてました