『ブッダがせんせい』を精読してます。
いまのところ、不満です。
理屈っぽくて申し訳ないのですが・・。
ブッダがせんせい、ならば、お釈迦様の言葉に忠実にきちんと当たり、調べるべきです。
原典として、中村元先生のダンマパダを引いてますが、このダンマパダの解釈も???です。
ダンマパダには副読本みたいに因縁話が載っています、これもきちんと調べたのでしょうか?
パーリ語からきちんと、お釈迦様の言葉にあたっているのでしょうか?
本では中村先生のダンマパダに、その内容とは合っていない勝手な解釈を加え、そのまま掲載してます。
一例をあげます。
なんでもほしがる、
よくばりな心は、
いつか自分を
きずつけてしまうよ
原典として掲載してる中村先生のダンマパダです
田畑は雑草によってそこなわれ、
世の人々の心は欲求によってそこなわれる。
ダンマパダ359より
まず、『ブッダがせんせい』の作者は、ダンマパダを全部を引用していません。
第359偈の訳文の全文です、片山先生の訳です
もろもろの田は草に汚れ
この人々は欲望に汚れる
それゆえ欲望を離れた者への
布施は大きな果をむすぶ
この偈は、もともと、大きな果を得るためのお布施の話なのです。
貪が主題ではないのです。
なぜ、作者は下の2行を省略して、貪の話にしてしまったのでしょうか?
元々の全文はこうです
正田先生の訳です。
356.( 356) 雑草 という 汚点 ある のが、 諸々 の 田畑 で ある。 貪欲( 貪) という 汚点 ある のが、 この〔 世 の〕 人々 で ある。 それ ゆえ に、 まさに、 貪欲 から 離れ た 者 たち に たいし 施さ れ た もの は、 大いなる 果 と 成る。
357.( 357) 雑草 という 汚点 ある のが、 諸々 の 田畑 で ある。 憤怒( 瞋) という 汚点 ある のが、 この〔 世 の〕 人々 で ある。 それ ゆえ に、まさに、 憤怒 から 離れ た 者 たち に たいし 施さ れ た もの は、 大いなる 果 と 成る。
358.( 358) 雑草 という 汚点 ある のが、 諸々 の 田畑 で ある。 迷妄( 痴) という 汚点 ある のが、 この〔 世 の〕 人々 で ある。 それ ゆえ に、 まさに、 迷妄 から 離れ た 者 たち に たいし 施さ れ た もの は、 大いなる 果 と 成る。
359.( 359) 雑草 という 汚点 ある のが、 諸々 の 田畑 で ある。 欲求 という 汚点 ある のが、 この〔 世 の〕 人々 で ある。 それ ゆえ に、 まさに、 欲求 から 離れ た 者 たち に たいし 施さ れ た もの は、 大いなる 果 と 成る。
. 小部経典 第一巻 (パーリ語原文付)~正田大観 翻訳集 ブッダの福音~ (Kindle の位置No.1487-1493). Evolving. Kindle 版.
もともとは、お釈迦様と神様のやりとりの偈なので、子供向けの表現はむずかしいです、私には出来ないなあ。
やはり、不満です。
参考にした本

小部経典 第一巻 (パーリ語原文付)?正田大観 翻訳集 ブッダの福音?
- 作者: 正田大観
- 出版社/メーカー: Evolving
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