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テーラワーダ仏教を地味に勉強してます、そのメモ書きになります、きちんと学びたい方には参考にならないです、ご了承願います。

『ブッダがせんせい』(6) 今回は納得

不満ばかり続く『ブッダがせんせい』ですが、今回はいいなあ、と思います。

 

ブッダがせんせい 心を育てるこども仏教塾

ブッダがせんせい 心を育てるこども仏教塾

 

 

引用します。

 

らんぼうなことばは、

つかわない。

自分にも、

いやなことばが

かえってくるから

 

引用している原典です、中村元先生訳

荒々しいことばをつかうな。言われた者は君に言い返すだろう。

怒りを含んだことばは苦痛である。

仕返しが君に返ってくるだろう。

ダンマパダ 第133偈

 

 

先生訳

粗暴なことばを言うな。言われた人々は、

あなたにそのまま言い返すだろう。

怒りを含んだことばは苦痛である。

仕返しがあなたの身に至るだろう。

第133偈

 

 

 

もっと引用しますね

 

ことばでもけがをする

中略

げんこでひとをぶったら、あいてもしかえしに、ぶってくるはず。ことばでのけんかも同じです。あいてをことばできずつけて、じぶんもかえってきたことばで、きずつけられてしまいます。

 

おうちの方へ

中略

乱暴な言葉は乱暴な心から発せられるので、すでにトゲが仕込まれているのです。心を清めることは、ことばも清めることだと仏教は教えています。

 

 

特に言うことはないです、その通りだと思います。

身体を制御するより言葉の制御は難しいし。

悪い言葉は暴力以上、下手すると殺人以上だし。

もし、言葉の争いになったら止むことはないだろうし。

悪い言葉を言えば、結局、返ってたものは、全部、自分が受け取ることになるし。

結局、心と思考が悪いと、言葉もわるくなるし。

 

巻頭法話から引用します。

巻頭法話(135) 躾と行儀作法は正しいと言えますか? 2006年 5月

 

次の問題は、言葉です。人は言いたかっただけで、思っただけで、喋ってはならないのです。瞬時に思うことはほとんど感情的で、いい加減で、我が儘な思考なのです。それを発言すると、大変な結果になります。話すことは自由だ思うのは勘違いです。「言論の自由」というのは、ものごとを完全に把握しなかった人々が、ある側面だけ考えて言ったことです。普遍的な真理ではありません。完全たる自由を教える仏教が、「言論の自由」という表現を決して使っていないことに、がっかりしてはならないのです。

 話すということは、聞く相手がいることです。そこで、社会というものが成り立っているのです。社会には、社会の決まり、守らなくてはいけないことがいっぱいあるのです。自由に話すということは、ある個人が自分が好き勝手に考えた自己主張を語ることになりかねません。それが、社会の決まりを破ることになるのです。言葉を発言するときは、たとえ相手が一人であっても、その言葉が社会の情報になることを忘れてはならない。言葉が生み出す結果の責任を、発言した人が担わなくてはならないのです。だから、言論の自由は成り立ちません。

 語る人は、社会に非難される、相手が怒る、相手の尊厳を侵害する言葉を語ってはならない。言葉を制御し、管理しなくてはならない。それが出来ない人の言葉は、汚物を振りまくようなものです。行儀良く上手に語る能力のない場合は、釈尊が沈黙を守るようにと諭すのです。世界はうるさ過ぎ。皆、キャーキャーと喋っているが、聞く人はいません。喋るだけで、頭は良くなりません。却って悪くなります。聞き上手は、得します。

 言葉の管理は、身体の躾より難しいのです。人間は、喋るのが好きです。楽しいのです。言葉を発しない生活は無理です。感情がこみ上げてくると、どうしても喋りたくなります。それを強引に抑えるとストレスが溜まって、困ることになります。しかし、言葉には戦争を引き起こすくらい、人々を地獄に陥れるくらい、恐ろしいパワーがあるのです。正しく使えば、人類を幸福へ導くこともできるのです。話すたびにその言葉の責任が自分に掛かってくるので、重大な罪にもなります。言葉は遊びじゃないのです。危ないのです。気をつけた方が身の安全です。

 身体の振る舞いが悪い、言葉が乱暴という問題がなぜ生まれるのかというと、思考が汚れていることによるのです。欲、怒り、憎しみ、怨みなどで汚れた思考をすることこそが、『悪の枢軸』なのです。無知で行う妄想が、精神力を徹底的に浪費させるのです。要するに、思考を管理すれば全ては解決するということです。

 

 

今回の『ブッダがせんせい』は良かったです。

子ども向けですが、その内容は大人もじっくり読むべきです。

子ども以上に、なんと乱暴な言葉を使う大人が多いことか・・。

第133偈の因縁話も、長老と比丘の言い争いから始まってます。

 

ですから、ほとんどの方があてはまってしまう偈ですね。

 

 

私自身、乱暴な言葉を言われ嫌な気持ちになることを避けたいので、

 

乱暴な言葉を言われないように、自分でも言わない。

乱暴な言葉を言う人とは、離れていたいですね。

最終的には、心なので、心のありように注意です。

 

今回の『ブッダがせんせい』は良かったです。

子どもたちにじっくり聞かせてあげたい内容でした。

 

また、良いものがありましたら、また紹介いたします。