浄聖院様で西澤先生をお招きし、法友3人が仏教茶話会
茶話会の中で
臨済宗系のお寺で、キャンピングカーで、全国をひたすら托鉢して回るお坊様の話が出ました。
托鉢は、もともと、経済活動もしていない出家者が身体を維持するため、生存を維持するために最低限の食料を得る必要がありました、早い話、生存を維持するための手段です。
日本では、お坊様の財産の所有を認めているし、檀家制度もありますので、托鉢は滅多に見ないですね。
浄聖院様の先々代の住職は、お寺の修理や阿弥陀仏の建立のため、托鉢に回っていたそうです、浄聖院様は檀家が少ないですから、これは必要な行為です、お金は空から降ってきませんので。
仏教の目的は解脱を得ることです、そのために修行します。
托鉢は生命や修行を維持するための手段であり、修行ではありません。
修行をしないで、托鉢ばかりしてたら、お坊様らしくないです。
托鉢は仏教の目的ではありません。
茶話会では、このキャンピングカーで托鉢をする、というお坊様の話題は
首をかしげる結論になりました。
次の話題はこれ
ここにいるお坊様は、妻帯し、家庭を持って、飲酒して、私たち在家と同じです。
「坊主BAR」と「尼僧アイドル」の記事には、さすがに引いてしまいました。
読んでみて、思いましたが。
別に仏教を標榜しなくてもいいのではないでしょうか。
仏教である必要があるのかしら。
仏教というより、僧侶のライフスタイルに主眼を置いているのでしょう。
通常の我々世間の活動となんら違いはありません。
そのように見えました。
宗教に関係なく若者を支援し、世の中を良くしていくNPO法人としてお寺を中心として活動していけば、いいのではないでしょうか。
あと、「宗教」と聞いて、引くヒトもいるでしょう。
「宗教」をはずしたほうが、もっと人が集まりますよ。
この話題は、私が首をかしげてしまいました。