ブッダラボさんより
鋭い法話です、紹介させて下さい。
thierrybuddhist.hatenablog.com
50年以上、ずーっといろんな被り物をつけて生きてきたので、なんだか実感できる法話です。
通常の被り物は世間や社会が決めたものです。
自分の名前さえも、被り物です。
名前とか、肩書とか、家族の役割とか、そういったものをぜんぶとっぱらったら、なにが残るんでしょうか?
「人間」
この「人間」さえ被り物というか、着ぐるみというか。
人間という被り物は、肉体(土)で出来ていて、いずれ地球に返さなければならない。
齢をとる、というのは、地球が肉体をかえしてくれ、と言ってる、とのこと。
若いころは感じないけど、齢をとると、肉体の分解が少しづつ始まっているのでしょう、時間がきたら「処分」ということです。
50歳を過ぎると分解をちょっとづつ感じます。
分解していき、最後は処分することが決まっているのに、「あーでもない、こーでもない」と生きてる。
この法話を読んで「時間がないなあ」と実感しました。
「やばい、早く、自由にならなくっちゃ」と思いました。
放逸を戒める鋭い法話でした。
お幸せでありますように。