ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

今日は勉強会 法話の視聴会

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先月22日、大阪で行われた法話の視聴会

 

「自己責任」はどこまで?

 

「責任」という言葉はいろいろな意味にとれます。

 

というか、私が使う「責任」ということばは貪瞋痴に塗れています。

 

妄想や感情に塗れ、しょうもない状態です。

 

いつも頭の中がゴチャゴチャですね。

 

講演で先生は、二つの責任を言います

 

ひとつは社会的責任

仕事、家族、人間関係

 

 

もう一つは

どのように生きるか?

自己責任の話です。「業」ですね。

 

 

社会的責任は、

自分で管理できたり、できなかったり、やるからにはきちんとすべきだし

かといって、自分の手から離れるときもある。

 

 

自己責任は死ぬまでついて回りますね。

「業」だから、死ぬまで自分でやらなければいけない。

 

 

貪瞋痴を離れて理性で、因果法則にのって、物事をすれば、「責任」という言葉さえなくなってしまう。

 

責任から解放されるという、ここまでの境地は難しいかもしれませんが、法話を聞いて、頭の中が整理されるような気分になりました。

 

 

社会的責任と自己責任、グダグダ考えず、きちんと頭の中を整理して、生きていきましょ。