やっと、書店にたどり着けました。
本日、購入しました。
実際、手にとって購入するのは、いいもんです。
7月26日に下記のツイートをしたまま、まだ買ってませんでした。
失礼しました。
よっしゃ!
— ジャータカ (@jataka_) July 26, 2018
読みたいです。 https://t.co/8Xo3EcWDyB
グナラタナ長老は、パティパダーで、出村様の訳していただいた文章に接していました。
下記、出村様のHPでも長老の文章に接することができます。
文章がとてもわかりやすく、とても穏やかで優しい長老、という印象でした。
今回の本で、ますます、その印象を深めた次第です。
慈悲の瞑想を実践されている方、これから実践しようという方、実践まではいかないけど興味があるという方、慈悲ってなんだろうという方、慈悲には興味が無いという方でもいいです。
慈悲へのいろいろなアプローチが書いてあります。
私が心に残ったのは、
長老が北米で瞑想センターを設立したときの、長年、隣人からの偏見、いやがらせを受けた話です。
「慈悲の実践は生半可ではない」という言葉が重かったです。
あと、私自身、弱い自分、恥ずかしいと思う自分、それを自覚することがあります。
慈悲に近づくためには、そういった弱っちい自分も正直に観察しなければならない、ということです。
そこに曖昧さはありません。
第4章 穏やかな心でいる練習 より引用
自分が正直でいるなら、自分を信頼できますから、他人を信頼することもできます。自分を信頼するとは、恥ずかしいと思う弱い面を含めて自分を知るということです。信頼するためには、自分を正直に観察し、慈しみの心で生きる努力をしなければなりません。
一見、矛盾しているように見えますが、自分の弱さやもろさ、頼りなさを知ると、心は安心して穏やかになるのです。
中略
私たちは曖昧ではなく、まっすぐ、正直でなければなりません。そうすれば自分の善いところも悪いところも受け入れ、自分を慈しむことができるでしょう。
慈悲の実践に「曖昧」という言葉は無いです。
「慈悲」について、あらゆる考察、あらゆるアプローチ、深く考えることができます。
何かしら、読んだ方に、あてはまる部分があるかもしれません。
読んで得心したら、実践してみましょ。
常に、実践、実践。
グナラタナ長老のとてもいい法話を聴いた気分です。
生きとし生けるものが安穏でありますように。
自分への思いやりから広がる、他者・社会への優しい気持ち。穏やかに明るく生きるための、心を育てる瞑想ガイド。
— 出村佳子YoshikoDemura (@yosiko_d) July 20, 2018
『慈悲の瞑想:慈しみの心』バンテ・ヘーネポラ・グナラタナ著/出村佳子訳(春秋社)が発売されました。
優しい慈しみの心が、多くの方の心に届きますように…https://t.co/V66DQqGQcK pic.twitter.com/pX27noH4cs