ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

『慈悲の瞑想ー慈しみの心』 バンテ・ヘーネポラ・グナラタナ長老  出村佳子訳

やっと、書店にたどり着けました。

 

本日、購入しました。

 

実際、手にとって購入するのは、いいもんです。

 

 

7月26日に下記のツイートをしたまま、まだ買ってませんでした。

失礼しました。

 

グナラタナ長老は、パティパダーで、出村様の訳していただいた文章に接していました。

 

下記、出村様のHPでも長老の文章に接することができます。

 

Sukhi_hotu

 

文章がとてもわかりやすく、とても穏やかで優しい長老、という印象でした。

 

今回の本で、ますます、その印象を深めた次第です。

 

 

慈悲の瞑想を実践されている方、これから実践しようという方、実践まではいかないけど興味があるという方、慈悲ってなんだろうという方、慈悲には興味が無いという方でもいいです。

 

慈悲へのいろいろなアプローチが書いてあります。

 

私が心に残ったのは、

長老が北米で瞑想センターを設立したときの、長年、隣人からの偏見、いやがらせを受けた話です。

「慈悲の実践は生半可ではない」という言葉が重かったです。

 

 

あと、私自身、弱い自分、恥ずかしいと思う自分、それを自覚することがあります。

慈悲に近づくためには、そういった弱っちい自分も正直に観察しなければならない、ということです。

 

そこに曖昧さはありません。 

 

第4章 穏やかな心でいる練習 より引用

自分が正直でいるなら、自分を信頼できますから、他人を信頼することもできます。自分を信頼するとは、恥ずかしいと思う弱い面を含めて自分を知るということです。信頼するためには、自分を正直に観察し、慈しみの心で生きる努力をしなければなりません。

一見、矛盾しているように見えますが、自分の弱さやもろさ、頼りなさを知ると、心は安心して穏やかになるのです。

 

中略

 

私たちは曖昧ではなく、まっすぐ、正直でなければなりません。そうすれば自分の善いところも悪いところも受け入れ、自分を慈しむことができるでしょう。

 

 

慈悲の実践に「曖昧」という言葉は無いです。

 

「慈悲」について、あらゆる考察、あらゆるアプローチ、深く考えることができます。

何かしら、読んだ方に、あてはまる部分があるかもしれません。

 

読んで得心したら、実践してみましょ。

 

常に、実践、実践。

 

 

グナラタナ長老のとてもいい法話を聴いた気分です。

 

生きとし生けるものが安穏でありますように。