ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

本当は苦しみの真っただ中なのに、狂って「楽しい」と認識する。

我々は、いつもいつも狂って、世の中をあべこべに認識してますね。

 

チエリさん、いつも鋭い法話ありがとうございます。

ここに全てがあります。

 

「生きることは本当に苦なのか」第4回最終回

ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

 

 

すごく気に入った部分があるので引用します。

命を賛嘆する。賛美歌を歌う。神にも感謝するでしょう。

一日中苦労して、競争して仕事して、やっと家に戻ったら、食事をする。そこで家族みんなで、「天にまします神様に感謝します。今日の食事を与えてくれて……」狂ってない?

わたしが言うなら「わたしは酷い人生にされている。苦しんで戦って、侮辱されて仕事をしてきた。それでやっと食材を買えた。それを家内がわたしに悪口を言いながら料理を作ったんだよ。料理は苦しみがあるから美味しいんだ。疲れているから。この酷い人生を作った者がいるならば、わたしはそいつをただでは置かない」とお祈りします。(笑)

問題は、わたしは幸せですが、神を讃嘆する人々は幸せではないんです。

 

この料理を食べている旦那さんは、苦しみの原因に気づいているような感じですね。

 

あべこべにも気づいていますね。

 

 

「この苦しみの人生を作ったやつがいるならば、ただじゃすまさないぞ!」

とも言ってるような気がします。

 

 

苦しみの原因は社会情勢でもないし、旦那の奥さんでもないし、雇用者でもないですし、経済状態でもないです。

 

 

どうぞ、みなさん、お考えください。

 

 

とてもいい法話でした。

 

 

お幸せでありますように。