吉本先生の本を自分なりに読んだ勝手な私見になります。
当時の良寛さんの宗教や思想や芸術は
仏教、それも、曹洞宗、日蓮宗、浄土宗等
儒教
老子、荘子の思想。
和歌、俳句、漢詩、詩、書。
以上の条件の中で良寛さんは生きたわけです。
当時は以上がすべてだったわけです。
西洋思想も入ってないですし、大乗仏教はあっても、上座仏教は入ってきてないですし。
岡山の曹洞宗のお寺で厳しい修行を終えたわけですけど、和歌と書、文学が好きだったんでしょうね。
でも、曹洞宗の道元様は、和歌とかは厳しく戒めてます。
文学はもってのほか、だったのでしょう。
良寛さんは、そこで悩んだのでしょう、道元さまの通りにはできない、でも文学は好きだし、書も好きだし、老荘の思想にも影響を受けています。
道元様とは距離をおきながら、文学も書もできる僧侶として生きたのでしょう。
吉本先生は、宗教と芸術の狭間にいる良寛さまに関して、「良寛は難しい人だ」とおっしゃてます。
私見ですみませんが、仏教はきちんといろいろなことが決まっていますので、それらと照らし合わせながら、仏教徒としての良寛さまを見ることは可能かと思います。
さて、仏教的には良寛さまはどうだったのでしょう。
お坊様を見るのに一番手っ取り早いのは、そのお坊様が戒を守っているか否かです。
曹洞宗には16も戒があるのですね。
授戒会 | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ
十六条の戒法とは以下の通りです。
三帰戒
・帰依仏・帰依法
・帰依僧
戒のもっとも根本となる、仏法僧の三宝に対する帰依(真心を尽くして敬うこと)を三帰といい、これが仏教徒としての生き方の根本となることから、三帰戒という「戒」を付けて表します。
三聚浄戒
・摂律儀戒(悪いことはしない)・摂善法戒(善いことをする)
・摂衆生戒(全ての衆生を救う)
菩薩戒の基本となる考え方です。最初の二項目は、過去七仏に通底する教えである、「諸悪莫作・衆善奉行」に繋がるものですが、三項目は、これこそ菩薩戒の本質といえる内容です。これを、三帰戒に続いて約束します。
十重禁戒
・不殺生戒(殺さない)
・不偸盗戒(盗まない)
・不貪婬戒(犯さない)
・不妄語戒(誤ったことをいわない)
・不酤酒戒(酒に溺れない)
・不説過戒(他人の過ちを説かない)
・不自讚毀他戒(自らを褒め他人を謗らない)
・不慳法財戒(教えも財産も他人に渡すことを惜しまない)
・不瞋恚戒(怒らない)・不謗三宝戒(仏法僧の三宝を謗らない)
以上を見る限り、良寛さまは戒に違反していないので、やはり立派なお坊様です。
あと南方仏教の沙弥、出家の十戒です。
1
私は「生き物を殺すことから離れる」という学習箇条を保ちます。
2
私は「与えれないものを取らない」という学習箇条を保ちます。
3
私は「不梵行(淫欲行)をしない」という学習箇条を保ちます。
4
私は「嘘を言わない」という学習箇条を保ちます。
5
私は「放逸の原因となり(人を)酔わせる穀酒果酒を飲まない」という学習箇条を保ちます。
6
私は「時間外の食事はしない」という学習箇条を保ちます。
7
私は「踊り、歌、音楽(修行)の妨げとなる(それら)を見たり(聴いたり)しない」という学習箇条を保ちます。
8
私は「装飾の原因である花飾りをつけたり、香(クリーム)を塗ったり、香(おしろい)をつけたり、アクセサリーを着けたり、着飾ったりしない」という学習箇条を保ちます。
9
私は「高い床や立派な寝床に寝ない」という学習箇条を保ちます。
10
私は「金銀を受け取らない」という学習箇条を保ちます。
6条と5条と7条を違反しているかもしれません、でもお酒は好きでしたけど、乱れるほど飲まないし、酒が主役のような生き方はしてないです。
盆踊りにも参加してますけど、のめりこんでません。
6条は良寛さんは知る由もありません、これは該当せず、です。
南方仏教の戒からいってもほぼOKなのではないでしょうか。
立派なお坊様です。
本の対談の中で水上勉氏が興味ある指摘をします。
越後にもいたと思いますね。それが良寛さんの手紙にも現れてくる。五合庵に来る米であり、着物でもあるわけです。吉本さんもご指摘されていますが、良寛さんは富者のみに頼らない、貧者にも托鉢を受けてゆく迄の精神です。貧者というのは小作人に違いないし、だいこん飯を喰っている連中でしょう、どうして人に物を与えれるか。それを雀にくれてやりそうな男に、なんで米をやれたろう。これはわかってなければやれないですね。わかるということはどういういことなんだろう。この制度下の地平では、インテリが小作をしていたという私のイメージです。もうひとつの道を見ていた人々の地平があって、良寛がこれだけ生きられたわけじゃないですか。
中略
石投げる人もあっただろうし、おもしろい人が泊まっているから、行くとおもしろい話をしてくれる、といえば、そうか、どんな人か、痩せた人だそうだ、この痩せた人というのは平櫛田中の木造から感じるんですが、じゃ菜っぱ飯でも持っていってやれと、子どもに持たせることもあったでしょう。これが慈悲なんですね。吉本さんも慈悲ということをおっしゃってます。慈悲の景色というものは、宗教的な観念としてあるのではなく、生きている景色としてある。あれはおそらくそういうもんだったろうと私は思うんです。
実際、良寛様がいた五合庵を見ましたが、一人で住むというか、生きていくのは無理です、周りの方が放っとかず、お世話をしてくれたからです。
ということは、どういうことなんでしょう?
なんだか結論を言わなくても出ているような気がします。